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<WBSCプレミア12プレビュー>
坂本勇人「5年間の成長の軌跡」
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph byNanae Suzuki
posted2019/10/31 11:30
筒香も驚いた坂本の貪欲さ。
その中で坂本にとって、一つのきっかけとなったのは侍ジャパン、日本代表チームに選ばれたことだった。
とりわけ'15年11月に行われた第1回のWBSCプレミア12は、その後の坂本の野球人生に大きな変化をもたらす大会となった。
「野球のことに関して、坂本さんは年上も年下も関係ない」
こう振り返るのは、プレミア12で共に侍ジャパンの一員として過ごした横浜DeNAの筒香嘉智だ。
「よく一緒に食事に連れて行ってもらって、いろんなことを勉強させてもらいました。一番、驚いたのは坂本さんや秋山(翔吾、西武)さんというのは、僕とか年下の人間にもいろいろ質問したり確かめたりして聞いてくるんです。野球への貪欲さというか、そういう熱心さが凄い。やっぱり本当に野球が好きで野球のことを追求している選手っていうのは違うんだなと、僕も改めて坂本さんから学ぶことが多かった」
この'15年のプレミア12で坂本は、その後の彼の打撃のベースとなった「右軸バッティング」のきっかけを手にした。
「僕にはその感覚がなかったから、『エッ!』っていう感じでした」
坂本は振り返る。
筒香や秋山ばかりではなく、代表に集まった選手を質問攻めにして、それまでの体の中心を軸に回転するスイングから、右足を軸にボールを呼び込んで強く打ち返す打法へと転換するきっかけを得たのだ。翌'16年には、臨時コーチで宮崎キャンプを訪れた元ニューヨーク・ヤンキースの松井秀喜からも右足に体重を残して強くボールを捉える打ち方を学んだ。
打者・坂本の本格的な覚醒はそこから始まることになる。
'16年シーズン、坂本は打率3割4分4厘で首位打者を獲得した。キャプテン就任以来、ずっと目指してきた本当に背中で引っ張れるリーダーとなったのは、坂本の中でこの’16年のシーズンからだった。
勝ったことのないキャプテン。
そうしてようやくリーダーとしての自信を手にした坂本だったが、じつはそこから主将としての本当の苦しみが待っていた。それは「勝ったことのないキャプテン」という重い十字架だった。
キャプテンに指名された'14年オフの優勝旅行から'18年まで、坂本は主将としてV旅行に行ったことがない。
「やっぱり4年間、僕がキャプテンになってから優勝できていないということは、本当にプロ野球人生の中でも一番しんどいことだった」
坂本はその苦しみをこう語る。
「主将を引き継いだ時には、そこまでは大きく感じなかった。でも優勝できない日々が続いて、どうやったらチームが勝てるかをずっと考えながらやってきましたけど、それでもなかなか勝つことができなかった」