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<WBSCプレミア12プレビュー>
坂本勇人「5年間の成長の軌跡」 

text by

鷲田康

鷲田康Yasushi Washida

PROFILE

photograph byNanae Suzuki

posted2019/10/31 11:30

<WBSCプレミア12プレビュー>坂本勇人「5年間の成長の軌跡」<Number Web> photograph by Nanae Suzuki

勝てなくて眠れない日々が続く中、1勝の難しさを知った。

 チーム状態が悪化すると、眠れない日々が増えていった。一番苦しかったのは、'17年に球団ワースト記録となる13連敗を喫したときだった。

 選手ミーティングでは前向きな言葉で選手を鼓舞し、ひと度、グラウンドに立てばプレーで、背中でチームを引っ張るために力を振り絞った。それでも1つの勝ち星が遠く、眠れぬ夜が15日間続いた。

 夜中に汗をぐっしょりかいて目が醒める。水を飲み、それでも落ち着かずに睡眠薬を飲んでようやく浅い眠りを手にする。そんな日が続いた。

「この雰囲気の中でどうやって勝って、みんなで笑えるのかって常に考えていた。1勝することの難しさ。それを実感しながら毎日を過ごしていました」

 だから監督に原を迎えて臨んだ今シーズン、開幕直後から首位争いを演じて6月18日に首位に立ってからは、一度もその座を譲ることなく最後のゴールまで走りぬけた。もちろんその中には山もあり谷もあったが、常に選手をまとめて引っ張ってきたのが主将・坂本勇人であったことは誰もが認めるところである。

「監督が選手を鼓舞して引っ張っていってくれる姿は、一選手としても心強く思っていました。監督についていけばいい結果が出るのかなと思い、その中で選手を僕がまとめ、プレーで引っ張って行きたいなと思った。そうやって1年間を過ごしたシーズンでした」

 優勝会見でこう語った今季は、開幕から36試合連続出塁のセ・リーグ記録でスタートすると、自己最多の40本塁打、94打点をマーク。173安打を放って打率3割1分2厘と文句のない成績を残したが、その裏には自らを律したコンディション維持への努力があった。

「やっぱり体のケアが大事。これまでは夏場が苦手で体重も落ちたりして、それに比例して成績も下がっていた。でも、今は試合が終わった後も家でストレッチをしたり、とにかく疲労を残さないようにしています。しっかりとケアすることで試合を休んだり、スイングに影響が出たりすることも少なくなっていると思う」

 6月には球団に進言して、シアトル・マリナーズのイチロー(会長付特別補佐)らが使用する初動負荷のトレーニングマシンを東京ドーム内に設置してもらった。そのマシンを試合前と5回の終了後に使って体をリセット。関節の可動域を広げて、筋肉の柔軟性を高めることでパフォーマンスの向上とケガの予防の両方に役立てている。その結果、コンディションが安定し、苦手の夏場を通して高いパフォーマンスを維持する要因ともなり、背中でチームを引っ張るという坂本のキャプテンシーを支える原動力となった。

巨人は名実ともに坂本のチームに。

 “勝てなかった主将”が初めて味わった勝利の美酒――それは坂本が過去に味わったどんな優勝とも違う味だった。

「今まで何度も優勝させてもらったことがありますけど、主将になって立場も変わって、優勝する瞬間は本当に格別の思いで、自分が思った以上に嬉しかった」

 '14年のV旅行で坂本をキャプテンに指名した直後に、原は本人を呼んでこんな話をしたという。

「これからは、君の語る言葉は坂本勇人個人のものではなくなる。すべて巨人軍のキャプテンとしての言葉になる。そのことだけは頭に入れて話をしなさい」

 それから5年の歳月は坂本がリーダーとしての自覚を持ち、リーダーとしての振る舞いを目指し、そしてリーダーとして結果を求めた5年間でもあった。この優勝で、巨人は名実ともに坂本のチームとなったのである。

 そのリーダーシップには、侍ジャパンの稲葉篤紀監督も大いに期待している。

坂本勇人Hayato Sakamoto

1988年12月14日、兵庫県生まれ。'07年、巨人に入団。2年目から一軍に定着し、'12年には最多安打、'16年には首位打者を獲得。'15年には巨人史上最年少タイで主将に就任、今季、主将として初優勝を飾る。'13年WBC、'15年プレミア12と日本代表に選ばれ、'17年WBCでは4割1分7厘の高打率で活躍した。右投右打。186cm83kg。

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