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「カープはこのまま終わらない」
新井貴浩のエールと鯉党の想い。
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph byNaohiro Kurashina
posted2019/07/18 12:20
982号「カープに学べ」特集で対談、「赤ヘルの伝統」について大いに語り合った金本知憲さんと新井貴浩さん。
「また負けましたよ」「へえ、ほうかあ」
広島の街に出る。小料理屋の店主がふと思い出したように聞いてくる。
「カープは今日どうなったかの?」
鯉党なのだろう。ちょっと言い難いので、わざと顔をしかめながら小声で「また負けましたよ」と教えると、何事もなかったようにあっさりと「へえ、ほうかあ」と言って再びまな板と向き合う。こちらが肩透かしを食らったような気分になる。
二軍の由宇球場では、なかなか一軍に上がることのできないドラフト1位が凡退しても、芝生席に陣取ったおじさんやおばさんから「まだ最初じゃけえ、仕方ないよお」と温かな声が飛んでいた。
どちらも落胆を隠そうとしている素振りはない。敗北は広島カープの一部であり、観る人たちはその中に何かを見ているのだ。
そして、今日もまた夕方になると、広島駅からマツダスタジアムまで、線路沿いの道が真っ赤に染まる。
今日こそは。
負けた翌日はそう笑い合い、老いも若きも幸せの列をつくってスタジアムに吸い込まれていく。
2019年現在の広島東洋カープを象徴するような、その景色を見ていると、敗北の上に咲いた球団とファンの絆を感じずにはいられなかった。
敗者が立ち上がるところに物語がある。
思えばスポーツ映画の名作『ロッキー』も、スタローン演じる主人公はもともと連戦連敗の三流ボクサーだった。そんな彼が無名のアンダードッグとして世界タイトルマッチを戦い、敗れてなおそれ以上のものを得るというストーリーだった。
野球映画『メジャーリーグ』だって弱小時代のクリーブランド・インディアンスを舞台とした、落ちぶれたロートル捕手と若きノーコン投手の物語だった。
古今東西、人は敗者が立ち上がる物語を求め、そこから何かを学んできた。
だから、カープに学ぶ。
梅雨明けの気配が漂う日本列島にカープ勝利の報が届く。連敗というトンネルを抜け、また立ち上がった。
おそらく広島の人たちは「ほう、そうか」と、またいつものようにマツダスタジアムへと歩を進めるのだろう。
今日もまた。
勝った翌日にはそういう行列ができる。違いはそれだけだ。
なるほど、この幸せはちょっとやそっとではビクともしそうにない。