酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
八村塁と大谷翔平の年俸から見る、
NBAとMLB、NPBドラフトの違い。
posted2019/07/16 08:00
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph by
Getty Images
6月20日にNBAドラフト1巡目指名された八村塁の名前がメディアに踊っている。
とりわけ野球ファンは「塁」という名前に惹きつけられる。彼は野球ファンの家に生まれたが、バスケを志し、その世界にいってしまったのだ。
そして、日本円にして5億4000万円という契約金と4年総額10数億円という年俸が、我らが大谷翔平の年俸7200万円に比して、やたら高いことにも注目が集まっている。
せっかくなので「ドラフトとは、そもそも何の仕組みなんだ?」というのを一度おさらいしておこう。
「ドラフト」とはざっくり言えば、プロスポーツ団体がアマチュア選手を獲得する際に、一定のルールを設けて「同時タイミングで、平等に選手を取りましょう」という約束事だ。
最初にこの仕組みを導入したのはアメフトのNFLで、1936年に始めたのだという。NFLは北米4大プロスポーツの中でも「戦力均衡」を最も重視しているため、ドラフト会議が生まれたのだ。
日本球界で勃発した選手獲得合戦。
その後に生まれたMLBや、NBA、そして日本のNPBのドラフト会議も、建前上は「戦力均衡」を目的としている。ただ実質的には「選手獲得合戦による費用の高騰を抑えよう」という意図があって導入されたものである。
1965年に導入されたNPBのドラフト制度は、弱小チームではなく、西鉄、南海などパ・リーグの有力チームが発議したものだった。巨人や阪神、中日などセ・リーグの人気チームとの選手争奪戦が経営を圧迫しかねないほど過熱していたからだ。
南海の大監督、鶴岡一人の伝記で一番面白いのは「選手獲得合戦」についての描写だ。
実質的に監督とGMを兼務していた鶴岡は大阪で試合が終わると、ボストンバッグに札束を詰め込んで夜行列車に乗る。そして翌朝、関東圏在住の意中の選手や親の家に乗り込んだ。文字通り「札束で横面を張る」ようにして選手を獲得していた。
昔のスカウトの中には「1万円札ができて(1958年)、移動がすごく楽になった」と語る人もいた。それまで、ボストンバッグの中身は千円札だったのだ。