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「おやめなさい。ご両親が悲しみますよ」…31年前の日本ダービー・伝説の「ナカノコール」は“競馬が認められた”瞬間だった
text by
江面弘也Koya Ezura
photograph byAFLO
posted2021/05/27 11:03
アイネスフウジンの勝ち時計2分25秒3は、当時のダービーレコードだった
だが、この年は相手が悪かった。ナリタブライアンである。上村は三冠馬となる本命馬をマークしながらレースを進めていたが、直線は離される一方で、6着に終わった。ほろ苦いダービーデビューだった。
その3年後にはサイレンススズカでダービーに挑んだ。とてつもない才能をもった馬だったが、アクシデントや脚元の不安などが重なって厳しい日程を強いられたダービーは9着だった。橋田満調教師と上村は前に馬を置いて走ることを教えようとしたが、繊細なサイレンススズカには難しかった。それができていればどれだけすごい馬になったか、と上村はいまでも思う。悔しいことはたくさんあったが、サイレンススズカという名馬に出会い、学んだことのほうがずっと大きかった。
ゴールドアリュールに乗った'02年はラスト200mでいい手応えで先頭に立って「一瞬、夢を見た」。しかし5着。上村にとってダービーのゴールは遠かった。
調教師になっても「こんどこそダービーに勝ちたい」
「ナカノコール」のなかでダービージョッキーになる夢を見た騎手課程8期生でダービーに勝った者はいない。もっとも近づいたのは後藤浩輝で、'10年にローズキングダムで首差の2着だった。しかし、その後藤も'15年に亡くなった。
かれらも40代半ばになり、現役の騎手はいなくなった。調教師に転身したのは高橋康之と上村洋行のふたりである。ことし3月に開業し、5月6日現在5勝と好スタートをきった上村は、調教師としてはやっぱりダービーをめざしたい、と言う。サイレンススズカのような馬をつくって、こんどこそダービーに勝ちたい――。
「悪かったなあ」「とんでもない。よかったな、おめでとう」
あのダービーから29年。メジロライアンの小島浩三は昨年6月に厩務員を定年退職した。厩務員として重賞22勝という大記録を残した小島でもダービーに馬をだしたのは2頭だけだった。定年後は府中市に居を構え、妻の実家が東京競馬場内で経営する店を手伝っている。小島が「親分」と呼ぶ奥平真治もよく顔を見せ、一杯やっていく。「親分」は馬券もじょうずだという。
小島と中野栄治とはおなじ年齢で、東京競馬場時代には親睦会の旅行などでよく酒を飲んだ仲だ。ダービーのあとふたりはこんなことばを交わしている。
「浩三ちゃん、悪かったなあ」
「とんでもない。よかったな、おめでとう」