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1000回目を刻んだF1の歴史。
王者たちが込めた万感の思いとは。
text by
尾張正博Masahiro Owari
photograph byGetty Images
posted2019/04/21 08:30
1000回目のレースを制してアラン・プロストのチェッカーを受けたのは、王者5回のルイス・ハミルトンだった。
デイモンも、父グラハムも悲しい記憶がある。
そのクラークのチームメートだったのが、グラハム・ヒルだった。
彼は、クラークの死によって意気消沈していたチーム・ロータスを、自らの走りで勇気付けた。そして3戦目のモナコGPから与えられた新車が、このロータス49Bだったのだ。グラハムとロータスは、その年のタイトルを獲得。クラークの弔い合戦を制した。
この日、ロータス49Bを駆ったデイモン・ヒルも父同様、シーズン中にチームメートを亡くした悲しい思い出を持つ。
‘94年、デイモンのチームメートとしてウイリアムズにやってきたのは「音速の貴公子」と言われ絶大な人気を誇っていたアイルトン・セナだった。
しかし、3戦目のサンマリノGPで事故死。このグランプリでは、予選でもローランド・ラッツェンバーガーが壮絶な事故死を遂げていた。
セナ亡き後に開催されたモナコGPでは、初日にカール・ベンドリンガーが大クラッシュ。一命は取り留めたものの、頭部を激しく打ちつけたベンドリンガーは昏睡状態に陥り、F1界は大きな衝撃に見舞われた。
相次ぐ不慮の事故で沈んだF1界。
翌日の休息日に、ドライバーたちはモナコ自動車クラブに集まり、緊急ミーティングを開催。このままグランプリを続行するか否かについて、5時間にも及ぶ話し合いを行った。
そのとき、ドライバーのひとりとして参加していたのが、今年の中国GPにイギリスのテレビ局のコメンテーターとして訪れていたジョニー・ハーバートだった。
「あのとき、F1は存続の危機に直面していた。でも、僕たちは前に進むことを決断した。だって、悲しい歴史を経験したのは僕たちだけじゃない。僕たち以前にも多くの先輩ドライバーがレースで命を落としてきたけど、仲間たちはそれを乗り越えてきたんだからね」(ハーバート)