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1000回目を刻んだF1の歴史。
王者たちが込めた万感の思いとは。
posted2019/04/21 08:30
text by
尾張正博Masahiro Owari
photograph by
Getty Images
シーズン第3戦、中国GP。F1通算1000回目となるレースがスタートする1時間前、上海インターナショナル・サーキットを1台のF1マシンが疾走した。1960年代に活躍した名車「ロータス49B」だ。
そのステアリングを握ったのは、元F1ドライバーで'96年のワールドチャンピオンでもあるデイモン・ヒルだった。ロータス49Bは、父のグラハム・ヒルがドライブしたマシン。グラハムはこの伝説のマシンを駆って、'68年のモナコGPで自身4回目の優勝を飾り、その年のワールドチャンピオンに輝くと、翌年のモナコGPでも5回目の優勝を果たしたのだ。
イベントを主催したフォーミュラ・ワン・マネージメント(FOM)の某関係者は、こう明かす。
「本当はもう少し多くの名車を集めて盛大に祝いたかったが、中国は通関の手続きが複雑で、中国国内で展示してあるF1マシンを使うしかなかった。でも、ロータス49Bだけはなんとか都合をつけて、イギリスから入国させることができた」
ロータス49Bが過ごした悲しい歴史。
実際に名車を運転したヒルは、こう語った。
「過去にもロータス49Bを運転したことがあるので、それ自体は僕にとってはそれほど特別なことじゃない。それより、1000回目のレースでこれを走らせたことが特別だった。このマシンが戦っていた時代には、多くのドライバーがレース中に命を落とした。そういう悲しい歴史を乗り越えて、いまがある」
ロータス49Bがレースを走っていた'68年。その年の開幕戦を制したのが当時、最も人気があったジム・クラークだった。ロータス49Bの前作「ロータス49」に乗って南アフリカGPを優勝したクラークはその後、ドイツで開催されたF2のノンタイトル戦には「ロータス48」で出場していた。しかし、レース中なんらかのトラブルに見舞われたクラークのマシンはコースアウトし、ホッケンハイムの森の木に激突。クラークは帰らぬ人となった。