才色健美な挑戦者たちBACK NUMBER
引退して27年。元バレーボールの益子直美を
駆り立てる辛かった選手時代の思い出。
text by
林田順子Junko Hayashida
photograph byShiro Miyake
posted2019/03/05 11:15
趣味はガーデニング。
20年以上経って、笑って話せるようになりましたけど、バレーボールが楽しいと思ったことはありませんでした。今でもいい思い出って蘇ってこなくて、逆に辛い思い出ばかりを夢に見ますね。優勝という目標を達成したことで、少し気が抜けたところもあって、優勝直後の23歳から毎年監督には、辞めたいと言っていました。でも、全日本に選ばれているからとか、いろいろな理由でダメだと言われ、渋々続けているような状態でした。本当に辞めどきだと思ったきっかけの一つは、日本リーグでのNECとの試合でした。
その頃から腰を痛めていてスパイクが打てない時があったり、ジャンプも高さがなくなっていたりして、これ以上は上手くならないなと思っていたんです。でも、バレーボールってチームスポーツなので、ひとつ得意なプレーがあれば生き残っていけた。私はサーブレシーブが得意で、人一倍練習をしているという自信もありました。ところがNECとの試合で、当時の私がチャンスボールだと位置付けていた天井サーブをミスして受け損なったんです。すごく自信を喪失しましたし、いよいよ辞めるときだなって思いました。
引退の日の夜はすごく深く眠れました。今までの睡眠はなんだったんだろうと驚くぐらい。現役時代は毎日お腹を下していたのですが、引退した翌日からはピタリと出なくなって。腸が弱いと思っていたのも精神的なものだったんです。現役時代は円形脱毛症にもなりましたね。トイレにマジックを隠しておいて、行くたびに分からないように地肌を黒く塗りつぶしていました。練習中は流れる汗が黒くなってしまうので、黒い練習着しか着ないとか。相当追い詰められていたんだな、って引退して実感しました。
監督が怒ってはいけない大会の開催。
そんな経験もあって、5年前から監督が怒ってはいけないというルールを設けた「益子直美カップ小学生バレーボール大会」を九州でスタートしました。2日間だけの開催なのですが、とにかく笑顔で楽しくバレーボールをすることを目的とした大会です。
小学生のバレーボールを見ていると、今でも指導が厳しくて、泣きながら練習している子たちがすごく多いんです。メンタルが弱い子だと、それが嫌で早いうちにやめてしまって、すごく残念だな、もったいないなと思っていました。私がバレーボールを始めたのが中学からだったこともあって、小学生のうちはとにかく楽しいと思えるような環境を作って、早く練習に行きたい、こんなことができた!と達成感を得られるような練習をして欲しいと思っているんです。
だから、大会の日の午前中は試合をせず、まずは遊びます。監督がストラックアウトをやったり、チームでリレーをやって、和んで笑顔になったところでそのまま試合に入っていきます。もし監督が怒ったら子供達は私に報告に来て、私が監督を怒る。この人怖そうだなと思う監督のチームには、私がベンチに入って、目を光らせる時もあります(笑)。監督たちには「プレーでミスをしても、子供達はチャレンジをしたわけです。そのことを褒めてあげてください」とお願いをしています。