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マリノスから浦和移籍、山中亮輔。
「運命的」な挑戦はリスク承知。 

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塚越始

塚越始Hajime Tsukakoshi

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photograph byHajime Tsukakoshi

posted2019/02/05 17:00

マリノスから浦和移籍、山中亮輔。「運命的」な挑戦はリスク承知。<Number Web> photograph by Hajime Tsukakoshi

杉本健勇(右)らとともに浦和に加わった山中亮輔(中央)。自慢の左足が埼スタを沸かせる日は近いはずだ。

マリノスで得た新たな思考。

 一方、浦和にとっては痛恨の1敗だった。「スタイル=形」のなさを痛感させられた完敗だった。試合後、淵田敬三前社長は「私たちはサポートしていきます」と堀孝史前監督の続投を明言。しかしチーム状態は一向に改善されず、1カ月後、堀前監督は解任、強化体制も一新されて、現在のオリヴェイラ監督招へいに至った。

 山中の左足が浦和に激震を走らせた、とまでは言わないが、あのスルーパスは確かに新鮮なインパクトを残した。

 その試合後、山中は言った。

「2017年にたくさん試合に出ていたとはいえ、新たに監督が就任して、レギュラー争いは白紙に戻りました。監督の求めることができなければ試合に出られない。まず挑戦しようという気持ちでやってきました。監督を信じて取り組んできたからこそ、こうして成長を実感できています」

 ポステコグルー監督のもとで、山中は新たな思考を獲得したとも言っていた。

「試合中、常に1人ひとりの動きを見て考えています。今までになかった考え方。目が合ったからとかではなく、1つの動きに、自分も合わせて動こうと」

 未知なるスタイルとの遭遇と葛藤。そこを乗り越え山中は突き抜けていった。

トルコ行きを断念し、代表デビュー。

 夏にはトルコ1部リーグのバシャクシェヒルから完全移籍でのオファーが届いた。ただ山中と切磋琢磨し合っていた左サイドバックの下平匠がジェフ千葉に期限付き移籍していた。しかもチームはJ1残留争いに巻き込まれ、戦術にフィットしてきた山中を放出するわけにはいかなかった。山中はクラブからの強い慰留に応えた。

 さらに11月のキリンチャレンジカップ・キルギス戦で日本代表デビューを果たし、開始2分に代表初ゴールも決めた。

 ただ、その試合で負ったケガも、浦和移籍に少なからず影響したと言う。左ハムストリングを痛めて、その後、リーグ戦の欠場を余儀なくされた。

「もしも……ケガをせず、日本代表に選ばれ、アジアカップに参戦していたとしたら。多分、この移籍はしていなかったのではないかと思います」

【次ページ】 6番といえば僕となれるように。

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