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まさに「国民の息子」。根尾昂が
メディアもファンも惹きつける理由。
text by
小西斗真Toma Konishi
photograph byKyodo News
posted2019/01/31 10:30
根尾昂はキャンプ地である沖縄に入ってからの合同自主トレ中も、多くの報道陣やファンに囲まれている。
謙虚な言葉の裏を返せば。
しかし、名古屋地区だけでなく全国の書店には「根尾コーナー」が常設され、18歳の球児が読むとはとても思えない書籍がまるで「根尾君推薦」と言わんばかりに平積みされている。
根尾の取材での受け答えは実に誠実で謙虚で言葉選びも的確だ。裏を返せば意外性やおもしろみはない。知性があるがゆえにインタビュアーが言って欲しいことがわかってしまうのだ。
春の選抜出場を逃し、3季連続優勝の可能性がついえたことを尋ねられれば「まだ終わりじゃないですから。これからのがんばりで変わります」と後輩にエールを送り、代表で証書を受け取った卒業式では「代表ということでしたので、堂々としようと考えていました」と答えた。
大人から見て根尾は安心感の塊。
大人の目から見たとき、根尾は安心感の塊である。間違っても的外れな質問をした記者をにらみつけたりはしないし、なおかつ大口もたたかない。この安心感は、まさしく「理想の息子」。偉ぶらず、浮つかず、野球に取り組む。ドラゴンズジュニアの一員としてプレーした小学校時代から、東海地方では「飛騨の神童」として有名だった。
ほどなく、両親ともに医師であるという家庭環境が伝わっていく。だからといってリッチな開業医のお坊っちゃまではなく、地域医療に取り組んでいることを知り、好感度はさらにアップ。3歳上の兄・学さんは地元の進学校、斐太高のエースとして活躍し、3年夏には同校を史上初めて岐阜県大会の決勝まで導いた。
そこから受験勉強に全力投球し、現役で岐阜大医学部に合格。当時から「あの根尾のお兄ちゃん」と言われるほどすでに昂の知名度はすごかったが、兄の文武両道が証明されたことで根尾家の「理想の家族像」もすっかり認知された。
そんな2015年の夏あたりに根尾の人生も大きな節目を迎えた。
兄のように地元の高校で文武両道を追う考えは早い段階で消えたようだが、子を思う親心としては医師になってもらいたいというよりも「息子より野球のうまい子は全国にごろごろいるんじゃないか」と慎重論になる。そこで野球は強く、なおかつ系列の大学に医学部も持つ付属校が本命視された時期もあった。