メジャーリーグPRESSBACK NUMBER
日本球界“追放”でもメジャーへ。
吉川峻平「甘い決断はしていない」
posted2018/09/30 17:30
text by
四竈衛Mamoru Shikama
photograph by
Kyodo News
23歳の決意は固かった。
元社会人野球・パナソニックの吉川峻平が、ダイヤモンドバックスとマイナー契約を交わした。9月24日(日本時間25日)、アリゾナ州スコッツデールのキャンプ施設で記者会見に臨んだ吉川は、地元アメリカのメディアからの鋭い問いかけにも、表情を変えることなく、淡々と言葉をつなげた。
「ある程度、成功するという自信がなかったらこういう決断はできない。失敗したら日本でやろう、というような、甘い決断はしていない。こっちに挑戦したからには、こっちで終わるというぐらいの気持ちは持っているつもりです」
日本のプロ野球を経由することなく、直接、メジャーへ挑戦するには、相当な覚悟が必要だった。社会人出身で今オフのドラフト上位指名候補だった吉川の場合、将来的に帰国したとしても、2年間は日本のプロ球界と契約できない、「田澤ルール」が適用されてしまう。
しかも、ダイヤモンドバックスとの交渉過程で、日本野球連盟の規程に抵触したことで、社会人野球の再登録資格を剥奪され、事実上「永久追放」とも言える処分を科せられた。
つまり、「退路」はない。
「純粋に高いレベルで野球を」
メディアをはじめSNSなどを通して、批判めいた声が、耳に届いたことは想像に難くない。それでも、吉川は明瞭な言葉で、渡米にいたるまでの経緯と覚悟を口にした。
「純粋にもっと高いレベルで野球をやりたいという思い、若いうちに挑戦できるタイミングがあるなら最高峰の舞台に挑戦したいという思いがあっての決断となりました」
メジャーを身近な目標として意識し始めたのは、2016年だった。関西大学の4年時、日米大学野球の日本代表に選出され、柳、京田(ともに現中日)らと一緒に、米国代表と戦ったことで、吉川の心に火が灯った。
屈強な米国代表メンバーには、同年のドラフトで上位指名を受けたメジャー予備軍がズラリ。そんな強打者とほぼ互角の対戦を経験したことで、吉川の脳裏に、メジャーの舞台が浮かび上がってきた。
ただ、たとえ今オフ、日本球界に入ったとしても、現行の制度で海外FA権を得るのは、9年後の2027年オフ。32歳でメジャーに挑戦するまでの未来図を、今の吉川は具体的にイメージできなかった。