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森監督、伊東、辻、デストラーデ。
西武黄金時代には派閥がなかった。 

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中溝康隆

中溝康隆Yasutaka Nakamizo

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photograph byKoji Asakura

posted2018/09/02 11:00

森監督、伊東、辻、デストラーデ。西武黄金時代には派閥がなかった。<Number Web> photograph by Koji Asakura

圧倒的な長打力を誇ったデストラーデ。「AKD」と言えば秋山、清原との長距離砲トリオだった。

デストラーデが語る当時の光景。

 さて、'90年代前半の西武でその辻とロッカールームで志村けんのモノマネをして皆を笑わせていたのが、最強助っ人デストラーデだ。

 3年連続本塁打王に輝いた大砲は、自著『デストラーデ・西武野球の神話』(講談社/大城和美 共著)の中で当時のチームを「管理野球というより、自主管理野球」と評す。森監督は柔軟に若手が好む音楽やファッションまで理解しようと努めたが、選手個人の私生活にまで干渉するようなことはなかった。

 デストラーデのロッカーの両隣はキャプテン石毛と“メジャーに最も近い男”と称された同い年の秋山。やりやすい監督と刺激し合える一流の同僚たち。外国人、日本人を問わず、ほかのチームの選手と話していると、西武でプレーできてラッキーだねとよく言われたという。

5連覇後のホテルにビールはなく。

 だが、どんなに強いチームにもいつか終わりはやってくる。強すぎて勝って当たり前という風潮が蔓延し、'94年にパ・リーグ5連覇を達成した直後のホテルの食堂で選手たちを待っていたのは、ビール1本ない、普段の遠征と変わらない料理だった。しかも、球団代表もすでに東京へ帰ったという。それはない……。

「それはないぞ!」

 温厚な森も思わず声を荒げる。豪華な食事を用意してほしいわけじゃない。こんな時だからこそ、関係者も選手の中に入って、共に優勝を喜んでほしかった。現場の良き理解者だった球団管理部長の故・根本陸夫氏がチームを去り、野球をよく知らない代表がやって来て生じるすれ違いの数々。

 そうして、名将と呼ばれた男はV5を置きみやげにチームを去った。

 9年間で8度のリーグ優勝と桁違いの強さを見せた森西武。デストラーデは、のちに週刊ベースボールのインタビューでこう答えている。

「西武の黄金時代は、マイケル・ジョーダンがいたときのシカゴ・ブルズ(2度の3連覇を果たした)のようなものだ。私は2度目の3連覇の時代に来た。毎日がエキサイティングで楽しかったよ」

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