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森監督、伊東、辻、デストラーデ。
西武黄金時代には派閥がなかった。
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph byKoji Asakura
posted2018/09/02 11:00
圧倒的な長打力を誇ったデストラーデ。「AKD」と言えば秋山、清原との長距離砲トリオだった。
石毛、辻、清原……派閥を作らず。
その昔、テレビ埼玉で毎日見ていた西武の背番号81と言えば、とにかくコメントは手堅く地味で寡黙なイメージがあった。だが、大人になった今、その哲学に触れるとまったく古びていないことに驚かされる。選手時代は泣く子も黙る巨人V9時代の正捕手なわけだが、森監督は若い選手たちに対して、ジャイアンツで築き上げた栄光の過去を「オレたちの時代はこうだった」的に話すようなことだけはしないと決めていたという。
行き過ぎたノスタルジーは時にクレイジー。思い出話はOB会でゆっくり楽しめばいい。年寄りの戯れ言のようなことは、若い人の前で言わないことだ。この人生観は、監督退任後もいわゆる“球界のご意見番”にはならず、ハワイに移住した現在の生活スタイルとも通じるものがある。
黄金時代の西武には“派閥”がなかったという。森自ら石毛、辻、清原らあらゆる世代の中心選手たちにことあるごとに「派閥のないチーム作り」の必要性を話していたため、移籍組の選手もすぐチームに溶け込めた。
コーチにも選手を飲みに連れ出さないことを徹底させる。自由時間は個人で好きなように過ごし、バットを振ってもデートしてもいい。試合のない月曜日はチーム練習が当たり前だった時代に、あえて1日完全オフを定着させた。負けたからといって激しい練習をしても疲れが溜まるばかりで効果はない。
“24時間戦えますか?”の否定。
集中する時はする、休む時はしっかり休む。その方が選手の動きはよくなってお客さんは面白いし、選手寿命も延びる。“24時間戦えますか?”的な価値観が賛美された世の中において森監督の決断は革命的ですらあった。やがて月曜定休の概念は球界に浸透していく。
派閥のないチーム――。森西武の正捕手として活躍した伊東勤も自著『勝負師』(ベースボール・マガジン社)の中で「派閥がなかったため、チームはひとつにまとまりやすかった」と書く。個人事業主同士、遠慮はいらない。
まずいプレーが出てもコーチに注意される前に、選手同士で指摘しあうケースも多かった。選手に先に言われると、コーチは何も言えない。森自身も「試合中のミスはなまじ首脳陣が注意せず、選手同士の管理に任せておいた方が効果的」だと彼らを信頼していた。