マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER
新聞で見つけたある高校球児の談話。
甲子園のヒーローとは別の「凄さ」。
posted2018/08/28 16:30
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph by
Hideki Sugiyama
「夏の甲子園」が終わってしばらくの今ごろは、私にとっては「整理」の時期にあたる。
各都道府県予選の資料を整理して、頭の中に雑然と詰め込まれた情報と知識を整理し、秋のドラフトに備えて気持ちのほうも整理する。
暑い、暑いと泣いているうちに、いつのまにかドラフトまでもう2カ月を切っている。
ADVERTISEMENT
そんな折、高校野球を報じる地方新聞の中に、こんな記事を見つけた。
奈良県予選で、「生駒高校」が高取国際高校に敗れている。
7-8。点の取り合いを報せるスコアの横に、試合の流れを記した文章と、監督、主将の談話が載っている。
生駒高・角井亮太主将。
こんな内容の談話だ。
「自分たちの力は出し切った。最終回の打席は、打てる気しかしなかった。同点まではいかなかったが走者を返し、後は池田に託した。彼は秋はレギュラーから外れたが、自力で復帰した努力家。最後に(彼に)打席を回せたのはよかった。(試合の)結果は仕方ない。」
(奈良新聞より抜粋)
胸をつかれるものがあった。
甲子園のヒーローとは違う意味で。
4-8の劣勢を、最終回に7-8まで追い上げながら、あと一歩、力及ばずの惜敗。
“勝利”が垣間見えていた終わり方なら、無念さもひとしおのはずなのに、この冷静な語り口はいったいなんだ。
記者による要約も多少はあるのだろうが、談話の文字づらからは、あって当然の感情のたかぶりや動揺が感じられない。
自分のことにはほとんど触れず、いったんはレギュラーの座を失ったチームメイトが再びカムバックした努力をたたえ、その彼に、最後の打席に立つチャンスを与えられたことに自らの「達成感」を見いだしている。
甲子園のヒーローたちとは違った意味で、「すごいヤツだな……」と思った。
いったい、どういう少年、いや“青年”なのだろう。