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江夏、野茂が高校野球に残した伝説。
甲子園に出ていない怪物投手たち。
text by
森田尚忠Hisanori Morita
photograph byKyodo News
posted2018/08/16 17:00
高校で本格的に野球を始めた江夏は、甲子園にこそ出場できなかったが直球のみで大阪大会6試合を投げ抜き、3失点の快投ぶりにプロも注目した。
完全試合を含めて非凡な才能が。
あの夏。3打数1安打の数字以上に、32年経った今も中西には「あの試合は押されていた。力負けです」と苦い記憶がよみがえる。あふれる思いを隠すことなく、ライバルに挑む野茂がいた。
カモにされ続けた中西にはリベンジを果たしたが、結果は夏も含め3戦とも興国が勝利した。2年夏の完全試合を含め非凡な才能をちらつかせながらも、野茂はまだ好投手の1人に過ぎなかった。
甲子園への行く手を阻まれた興国との縁は、社会人・新日鉄堺の一員になってからも続いた。チームにおける当時の絶対的エースが興国OB・清水信英(現NOMOベースボールクラブ監督)だった。
ストレートは抜群の威力と速さを誇ったが、それだけで通用するほど甘くはなかった。目の前の課題をこなすことが精いっぱいだった右腕にとって、転機は思わぬ形で訪れる。1年目の都市対抗野球近畿地区予選第3代表決定戦・大阪ガス戦。ビハインドで清水を継投した野茂は、交代してすぐ本塁打を浴び、試合にも敗れた。
「とにかく正々堂々と投げろ」
その夜。宿舎の食事会場には、責任を感じ号泣する野茂の姿があった。「1年目の投手にそこまで背負わせてはいけない」。見かねた清水はそっと、野茂を別室に誘った。
「エースになりたいか?」
大先輩からの問いかけに真っすぐな視線を向けてきた野茂に、清水は10年以上かけて築き上げたエース道を伝えることを心に決めた。
「どんな試合でも勝つために投げろ。相手だけやない。ベンチ、スタンドのお客さんもみんながお前を見ている。結果に一喜一憂するようでは話にならない。弱さを見せたら、相手につけ込まれる。とにかく正々堂々と投げろ」
その後の野茂の経歴を改めて記す必要はない。'08年、現役引退を決意した野茂から、清水のもとに1本の電話が入った。
「あの夜、清水さんに話してもらったことを、僕は最後までずっと守っていました」
我々の脳裏に刻まれるふてぶてしいまでのポーカーフェイスが、日本球界のパイオニアを支えていた。一切の感情を胸の奥底にしまい込み、チームが勝つためにエースとして腕を振り続けた。あの夏、中西に見せたわずかな表情の変化。野茂が純粋に勝負を楽しめた、最後の夏だった。