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ガンバのクルピ解任は「人災」。
再建チャンスの中断期間をフイに。
posted2018/07/28 08:00
text by
下薗昌記Masaki Shimozono
photograph by
J.LEAGUE
「いつか来た道」の入り口にガンバ大阪が立たされている。
巻き返しを目指すはずだったJ1リーグの再開後、サンフレッチェ広島と清水エスパルスに連敗。16位という危険水域から抜け出し切れない現状に、ガンバ大阪は禁断のカンフル剤を打つことを選択した。
清水戦の翌日となる7月23日、関西大学サッカー部と行った練習試合はサブ組中心で7-0と圧勝したが、この試合がレヴィー・クルピ監督にとってのラストマッチ。クラブは、ブラジル人指揮官の解任を決定し、ガンバ大阪U-23を率いる宮本恒靖監督を後任に決定したのだ。
クラブ史上初めてとなるJ2リーグ降格の憂き目を見た2012年。やはりブラジル人監督を早々に解任し、ガンバ大阪の生え抜きだった松波正信氏(現アカデミーダイレクター)をコーチから昇格させる形で指揮を委ねたが、その結末は今更振り返る必要はないはずだ。
今季獲得した矢島は仙台にレンタル。
今季は「奪還」をチームスローガンに掲げ、常勝軍団の復権を誓った。しかしリーグ戦での逆転優勝はもはや夢物語で、天皇杯では2回戦で関西学院大学サッカー部に敗退。かろうじてルヴァンカップはノックアウトステージに勝ち上がっているものの、開幕から低空飛行が続いたままの状況である。
「レヴィーのサッカーが浸透するには少し時間がかかるんだろうと思って信じてやっていたが、前半戦の半分が終わってこういう成績。サポーターの皆さんにも心配していただいているので流れを変えざるを得ないということで決断した」と、山内隆司社長は苦渋の決断を明かしたが、クラブの危機的な状況は6年前と同様の「人災」に他ならない。
昨年、クルピ監督を迎えるにあたって梶居勝志強化アカデミー部長は「今の成績は監督だけの責任ではないし、我々もフロントも大いに反省しないといけないところもある」と、監督を支えるバックアップ体制の不十分さを認識していたはずだった。
しかし昨年10位に終わったチームへの開幕前のテコ入れは矢島慎也と菅沼駿哉の2人のみ。いずれも即戦力級というには程遠く、矢島に至っては選手起用で好き嫌いの激しいクルピ監督から早々に冷遇され、6月にレンタル移籍でベガルタ仙台を新天地に選んでいる有り様だ。
グロインペイン症候群で出遅れたアデミウソンと、開幕前に右足首を痛めた今野泰幸を欠いたこともあり、開幕前からおよそ「奪還」には程遠い選手層でやりくりを強いられたクルピ監督ではあるが、チーム作りの遅れに関してはやはり指揮官に起因するところが大きいと言わざるを得ないだろう。