スポーツ・インテリジェンス原論BACK NUMBER
「甲子園は価値観を確認する儀礼」
想田和弘が語るスポーツの聖地性。
text by
生島淳Jun Ikushima
photograph byYuki Suenaga
posted2018/07/22 08:00
「観察」という言葉から連想される姿よりも、想田和弘監督自身は感情豊かだ。そうでなければ、人の無防備な姿を撮ることはできないのかもしれない。
甲子園や箱根駅伝の意味は?
生島 日本のスポーツイベントにも同じような効果があると思うんです。甲子園や、箱根駅伝がパッと思い浮かびますが……。
想田 甲子園はまさに、これまで日本人が持ってきた「組織のために自分を捨てて滅茶苦茶に頑張る」という価値観を再確認するための儀礼ですよね。高校生の連投は、アメリカ的な合理主義からは理解されないわけですが、日本ではいまだ美談になる場合もあります。坊主頭の高校生なんて、もはや高校野球以外では絶滅状態なわけですが、日本人は彼らの姿を見て安心する部分がどこかにあると思います。
生島 スポーツを見ることでの「価値観の共有」は、本当にいろいろな範囲に及びますね。
想田 ミシガンが勝てば、『俺たち強いんだぜ、最高だぜ!』という価値観や自己像が共有されます。それでも、ビッグハウスではたかだか10万人にしか共有されないわけですが、それが映像によって拡散されていくと、数千万人単位の疑似体験や儀礼になっていく。サッカーのワールドカップでも、ロシアでの出来事なのに、渋谷が熱狂するじゃないですか。
生島 たしかに! ロシアに行かずしても、十分に楽しめる環境になってますね。
想田 メディア社会では、疑似体験の装置がどんどんスタジアムからはみ出していってるんです。資本主義社会では、数はパワーを持ちます。熱狂する人が増えるだけ、グッズも放映権も高く売れます。そういう意味では、ビッグハウスは数千万人の「信者」の儀式を執り行う「聖地」なんですよ。