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藤ヶ谷陽介に、脆さはもうなかった。
ガンバ黄金期を知るGKが遂に引退。
text by
下薗昌記Masaki Shimozono
photograph byGetty Images/J.LEAGUE
posted2017/12/02 07:00
マンチェスター・ユナイテッドやリーベルプレートと戦った藤ヶ谷。その経験値こそ彼のかけがえのない財産だ。
「ヒガシが代表に行くお陰で、チャンスをもらった」
東口自身も日本代表では長年、川島永嗣を追う立場にあるこそ、藤ヶ谷の凄さが良くわかる。
「GK陣を引っ張ってくれた。フジさんだからそれが出来たし、ホンマに見習いたい」
ベンチを温めることが大半だった3年間で、チームは確かに藤ヶ谷を必要として来たのだ。
今季は2年連続の無冠に終わったとはいえ、ルヴァンカップで史上初となる4年連続の決勝進出を逃すもベスト4入り。日本代表を欠いた決勝トーナメントで、ベテランはその「履歴書」に偽りがないことを見せつけてきた。
「ヒガシが代表に行ってくれるお陰で、僕もチャンスをもらっていた」(藤ヶ谷)
ルヴァン、J3で黙々と見せた抜群の安定感。
ルヴァンカップでは日本代表が不在にもかかわらず、2015年と2016年は決勝進出に貢献。かつてはミドルシュートへの脆さを見せたり、凡ミスを犯したりすることも決して珍しくなかった藤ヶ谷だが、復帰後の3年間は抜群の安定感で最終ラインを支え続けたのだ。
「セカンドキーパーってそういうものだと思っているし、いつチャンスが来るかも分からない。でも、出番が来た時にしっかりとやるのが自分の仕事ですから」(藤ヶ谷)
物静かな守護神を支えて来たのは、危機感だ。
ガンバ大阪U-23のオーバーエイジ枠でJ3のピッチに初めて立った昨年3月20日のグルージャ盛岡戦。結果的に4-1で大勝したチームにあって、藤ヶ谷は拮抗した時間帯にファインセーブを連発し、黙々とピンチを防ぎ続けた。
「どんなカテゴリーの相手でも絶対にピンチは来ると思っていた」とこともなげに自らの好パフォーマンスを振り返り、キッパリと言い切った。
「J3が調整の場なんて一切思っていない。僕もここでアピールする立場ですから」