“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
J2名岐ダービー伝説、パート2。
史上初、前売り完売の奇跡と……。
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2017/10/03 11:00
観客席が満員となった長良川競技場。FC岐阜選手のパフォーマンスも、いやがおうにも上がるというものだ。
岐阜県出身者が力を合わせてクラブを盛り上げる!
筆者は岐阜県内の保育園、小、中、高校を経て、大学で4年間名古屋に住み、大学を卒業すると岐阜の地方銀行に就職。この地域で数年を過ごした。高校時代から名古屋のサポーターとなり、会社を辞めてサッカージャーナリストとなった時も、スタートは名古屋担当から始まっていたし、FC岐阜に関して言えば、そのチーム立ち上げから関わってきた。
冒頭で登場した故郷の友人というのも、実は名古屋の元名物広報でもあった。岐阜県出身の彼、林幹広は、2001年に名古屋のクラブ職員となり、2004年から広報を務めた。そこから4年間、広報としてクラブの窓口となったが、2007年シーズンでFC岐阜のJ2昇格が決まると、「故郷の岐阜のために力になりたい」と2008年1月に「移籍」し、岐阜のクラブ職員となった。
名古屋で培ったノウハウを活かして広報に就任すると、昨年までの9年間、広報のトップとして活躍。今年1月からは、地域振興グループサブリーダーとしてクラブに貢献し続けている。
「試合のかなり前の時間から『ダービー』という雰囲気が試合会場周辺からも出ていた。1週間前からチケット売り切れという状況になって、それ以降も『どうしても観たい。追加の発売はないか』という問い合わせが殺到してましたし、当日までそれが続きました。
その想いはスポンサー企業の皆様も一緒で、やっぱり名古屋戦に対する特別な想いというのがあって、多くの人がこのダービーを待ち望んでいたのが実感できました。もちろん勝てば最高だったのですが、実際にこういうダービーでお客さんが満員になって最高の雰囲気で試合ができたことは、スポンサー企業さんにとっても誇らしいことだと思います。本当に意義ある1日でした」(林)
10年前は60社しかなかったスポンサー企業も、今では210社以上に増え、クラブは県内全域の多くの企業が支えてくれる存在にまでなった。「一部のサッカー好きの人たちの夢」だったFC岐阜は、J2昇格10年目を迎え「岐阜県の夢」になろうとしている。
名古屋のファンから岐阜のファンへ変わる人も出てきた。
「多くの人がFC岐阜のホームスタジアムとしての長良川競技場の雰囲気や、周辺のサービスを感じてもらって……名古屋から岐阜へのサポーターへ乗り換える“スイッチング”が多少起こるんじゃないかと期待をしています。
今日は大学の調査機関も入れていて、『これから岐阜の試合も観に行っても良いな』と思う人たちを引き込もうとしています。試合前と試合後に名古屋の大学の教授方と一緒にそのスイッチング現象がどこまで起こるかを、具体的に調査したんです。ダービーはそれの重要なチャンスだと思うので。そのデータを今後の活動に反映させていこうと思っています」(林)