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ボルトのスパイクは出身高校の色。
立場は変わっても、郷土愛は消えず。

posted2017/08/04 11:00

 
ボルトのスパイクは出身高校の色。立場は変わっても、郷土愛は消えず。<Number Web> photograph by AFLO

ボルトの走りが見られるのは、今度こそ本当に最後。本人はリラックスしているが、見ている側が先に感極まってしまいそうだ。

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及川彩子

及川彩子Ayako Oikawa

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AFLO

「俺は変わらない」

 2008年12月、ジャマイカでボルトは何度もこう口にした。

 北京五輪で3冠を達成した後、大きな変化の波に飲まれていたボルトは、変わることを頑なに拒否しているようにも見えた。

「周囲が変わっても、俺は絶対に変わらない」

 自分自身に言い聞かせるかのように、何度もつぶやいていた。

 それから9年。

 五輪3連覇、短距離3種目で世界記録を持つボルトの生活が変わらないはずはなかった。

 練習拠点があるジャマイカの首都キングストンにある西インド大学は、それまで雑草の生い茂った野原に白線を引いただけのトラックしかなかったが、その横に青のサーフェスがひかれたトラックができた。

 それまでは自由に出入りできたものの、ボルトを追いかけて勝手に入りこむメディア対策もあり、周囲には高いフェンスと警備員が配置された。ぼろぼろだった国立競技場も張り替えられ、ジャマイカ陸連のオフィスも新しくなった。

今大会のボルトのスパイクは、高校のスクールカラー

 ジャマイカは『スプリンター生産工場』と呼ばれ、世界中から多くのメディアが訪れ、ジャマイカの人たちはジャマイカ選手のことを誇らしげに我々に話してくれた。

 ボルト効果で様々なものが変わった。

 先日ロンドンで、ボルトの現役最後のレース前記者会見が行われた。

 320人ものメディアが訪れた場で、ボルトが今大会で履くスパイクが紹介されたが、そこにボルトの変わらない部分を強く見ることができた。

 そのスパイクは、ボルトの原点である故郷ウィリアムニブ高校のスクールカラーである緑と紫、そしてボルトのシンボルカラーのゴールドで彩られていた。

【次ページ】 一番の思い出は、地元開催だった世界ジュニア。

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