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セナ対ピケ、ホンダのバトン優勝……。
退屈に見えて名コースのハンガリーGP。
text by
尾張正博Masahiro Owari
photograph byAFLO
posted2017/07/28 17:00
1986年、初開催のハンガリーGPでは真っ向勝負でセナ(左)を抜き去ったピケ(右)が凱歌を上げた。
1967年ぶりとなる、オールホンダで優勝したコース。
マンセルの予選12番手からの勝利を上回る大逆転劇を演じたのが、2006年のジェンソン・バトン(ホンダ)だった。
バトンは予選で4番手に入る走りを見せていたが、フリー走行中にエンジンブローに見舞われてエンジン交換。10番手降格のペナルティを受け、14位からスタートしていた。
ウエットコンディションでスタートしたレースは、オープニングラップから大混乱。
そんな難しいコンディションの中、バトンは1周目にいきなり4番手までジャンプアップする。その後も上位陣が相次いで消えていく中、安定した走りでトップに躍り出て、自身初優勝を飾るとともに、ホンダに1967年以来となる、マシンとエンジンのすべてを作るコンストラクターチームとして39年ぶりの勝利をプレゼントした。
1997年、タイヤ戦争勃発の発端となったレース。
オーバーテイクが難しいにも関わらず、ハンガリーGPで不思議とドラマが生まれる理由には、タイヤに厳しいサーキットであることが挙げられる。
'97年のレースはそれを象徴するレースとなった。
快晴の下でスタートが切られたレースは、路面温度が上昇し、タイヤに厳しいコンディションに。
グッドイヤー勢がブリスター(タイヤ表面にできる気泡)に悩まされて次々と後退していく中、ブリヂストンを履いたデイモン・ヒル(アロウズ・ヤマハ)がトップを快走。
マシントラブルでファイナルラップにスローダウンし、あと一歩で優勝は逃したものの、タイヤ性能の差が車体性能を上回る一戦となり、その後タイヤ戦争が本格化するきっかけとなった。