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棚橋コールが内藤コールに負けた夜。
棚橋弘至、エース完全復活への苦渋。
posted2017/06/23 08:00
text by
原悦生Essei Hara
photograph by
Essei Hara
G1クライマックスの開幕戦(7月17日、北海きたえーる)まで1カ月を切った。
棚橋弘至はその出場選手発表を6月20日、後楽園ホールの通路で聞いていた。右腕にはバンデージが巻かれたままだ。
16年連続16回目の出場。優勝2回。
棚橋には、長い暗いトンネルからやっと抜け出したという思いがある。長い1年だった。インターコンチネンタルのベルトはやっとその腰に戻ってきた。
内藤哲也に振り回された。
体調不良やケガと付き合わなければならない、つらい日々があった。
これまで“疲れを知らない”棚橋が見せてきた表面と、現実は正反対の色模様であった。
“内藤コール”が“棚橋コール”をかき消した日。
その日、棚橋は耳を疑った。
6月11日、大阪城ホールのセミファイナル。内藤に挑んだインターコンチネンタル戦でのことだった。棚橋は劣勢に立たされていた。
いつもなら、このタイミングで聞こえてくるはずの盛大な“棚橋コール”が、それを大きく上回る“内藤コール”でかき消されていた。棚橋は一瞬、「信じられない」という表情を浮かべたが……あえて「タナハシ!」という声援だけを聞き取きとることにして、なんとかカムバックへの戦いを続けていた。
右腕は至極痛んだ。
内藤の執拗な腕殺しに、棚橋の顔面が何度もゆがんだ。
5月に負った「右上腕二頭筋腱遠位断裂」という怪我は、棚橋にとって大きな痛手となっていた。
何を言われようが、内藤と戦うことになっていた大阪城ホールだけは出るという棚橋の強い意思がなければ、欠場してもおかしくないくらいの大怪我だった。筋が切れて、それに伴う内出血は上腕下部を薄黒く変色させていた。