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ジェイソン・デイ、父の死と母のがん。
不良少年が世界のトップに立つまで。
text by
舩越園子Sonoko Funakoshi
photograph byAFLO
posted2017/05/22 08:00
ジェイソン・デイはゴルフ界でも珍しい出自の選手である。そして、彼ほど家族との絆を感じさせる選手も多くはいない。
一緒にゴルフを始めた父が12歳の時に……。
父親のこともあるから――。そう、デイは12歳のとき、父親を胃がんで失った。
そもそも、デイがゴルフを始めたのは、父親がゴミ置き場に捨ててあったゴルフクラブを持ち帰り、「よし、ジェイソン。どっちが上手くなるか競争しよう」と言い始めたことがきっかけだった。
大好きな父親が突然、姿を消してしまったことは、デイにとってはゴルフが突然、無味乾燥なものと化したと同義だった。
その代わり、学校に行けばケンカを繰り返し、学校に行かなければ酒、タバコ、パーティーナイトを繰り返す荒れた生活。
しかし、立ち直りたいと自ら願い始めたデイは、ゴルフが盛んな全寮制ボーディングスクールの存在を知り、母デニングに「あの学校に入りたい」と申し出た。
女手ひとつでデイと2人の姉の3人を育てていた母デニングは、家族4人が暮らしていた小さな家を二重抵当に入れ、いくつもの仕事を掛け持ちして高額な学費をぎりぎり工面。そうやってデイをボーディングスクールへ送り出した。
卒業後にプロ転向し、単身渡米したデイが米ツアーに辿り着いたのは2008年のこと。2010年に初優勝を遂げたが、メジャーでは惜敗を繰り返した。
芝刈り機を直せず、湯沸し器もなかった極貧時代。
2015年の全米プロで、ついに悲願のメジャー初優勝。あの優勝会見でデイが口にした言葉は今でも忘れることができない。
「もしも、あのとき父が死んでいなかったら、今日のこの勝利はなかった。父が死んだとき、1つのドアが閉まった。でも、そのあと、別のドアが開いたんだ」
新たなドアを開いてくれたのは、言うまでもなく母親デニング。そして、弟の学校のため、ゴルフのために、貧しい生活に耐えながらお金をセーブしてくれた2人の姉に対しても、デイは心から感謝していた。
「僕の家の生活はとても貧しくなった。壊れた芝刈り機を直すお金が無くて、母はナイフで庭の芝を刈っていた。湯沸かし器が無くて、ヤカンで沸かしたお湯がシャワー代わり。母は3つも4つもヤカンを持ってきたけど、1つのヤカンのお湯が沸くまで5分も10分もかかって……。母も姉たちも、たくさん犠牲を払ってくれた。そのおかげで僕はボーディングスクールに行けた」