野球のぼせもんBACK NUMBER
島袋洋奨の3年目は窮地か、転機か。
甲子園で輝いたスライダーを再び。
text by
田尻耕太郎Kotaro Tajiri
photograph byNIKKAN SPORTS
posted2017/02/26 07:00
島袋が一軍で残した成績は、ルーキーイヤーで登板した2試合のみ。今季こそ甲子園優勝投手としての矜持を見せられるだろうか。
1年目の大乱調を、今も忘れることはできない。
その年の4月。専門学校との練習試合でのことだ。島袋がマウンドに上がった時点で、ホークスは22対0と大量リードしていた。力の差は明らかすぎるほどの相手だ。
しかし、その相手に1回1安打6四死球4失点の大乱調。自分自身と戦っていたことを象徴した試合である。
「1年目の6月頃に旧知のトレーナーからのアドバイスで、投球フォームにチェックポイントを見つけたことが克服の第一歩でした。トルネードのようにぐっと体を捻って“タメ”を作る際、左の股関節を上へ、左の脇腹を下へ押し込んで挟み込むようなイメージを作るんです。で、そこから投げていく」
力を絞り込み一気に放出する。タメを作れる分だけ早く開いてしまっていた右肩がうまく残り、ボールが抜ける回数が減った。
「でも、あの怖さは、正直忘れることはできないんです。なくなることはないでしょうね。今もフォームには課題があります。このキャンプで意識しているのは左足をキャッチャー方向へ真っ直ぐ押し込むこと。やっぱり開いちゃう悪癖があるので、体が右側(三塁側)に倒れないように」
「恐怖心も入って来られないくらい」頭を使って。
常にフォームのことで頭の中はいっぱいだ。無意識にスムーズな投球ができるのが理想だという人もいるだろう。しかし、島袋は敢えて投球フォームのことを考えながらマウンドの上に立つ。
「余計なことを考える隙間を無くすんです。恐怖心も入って来られないくらい」
かつて世代の頂点に立った左腕の現在は、決して順風満帆とは言えない。ホークスの同級生には千賀滉大がいる。いたって普通の公立高校から育成ドラフトでプロ入りした投手が侍ジャパンの一員としてWBCに出場するのだから、人生とは分からないものだ。