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島袋洋奨の3年目は窮地か、転機か。
甲子園で輝いたスライダーを再び。
text by
田尻耕太郎Kotaro Tajiri
photograph byNIKKAN SPORTS
posted2017/02/26 07:00
島袋が一軍で残した成績は、ルーキーイヤーで登板した2試合のみ。今季こそ甲子園優勝投手としての矜持を見せられるだろうか。
昨オフのウインターリーグ、スライダーを試した。
オフは秋季キャンプ終了後に台湾でのウインターリーグに参戦した。8試合に登板して3勝0敗1セーブ、防御率2.20の成績を残してきた。
収穫は数字だけではない。
「スライダーを試す狙いがありました」
台湾では直球最速149キロをマークしたという。武器はその真っ直ぐとチェンジアップの2種類のみだった。「僕のようなタイプでさすがにそれではキツイ」と、昨年途中からスライダーの習得に取り組んでいた。
いや、待てよ。
かつてスライダーは投げていた。'10年の甲子園。興南高校のエースとして春夏連覇を達成し、全国に島袋の名を轟かせた。
「スライダーを投げないと上のレベルで勝負できない」
その後、直接プロ入りはせずに中央大学に進学するも、左肘の故障、そして突如の制球難に苦しめられた。
「あれ以来、スライダーが投げられなくなってしまったんです。今やっている握りは昔のものとは違います。以前はツーシームのように縫い目2本に指をかけて、リリースの瞬間に手首をひねる感覚で投げていたんです。だけど、コントロールを乱してからそれが出来なくなり、スライダーは封印していました。
だけど、僕は特別すごい縦の変化を持っている投手でもないし、スライダーを投げないと上のレベルで勝負できない。それで新しいスライダーに挑戦することにしました。握りは全く違います。ボールの左半分を握り、感覚は真っ直ぐと同じように投げる。台湾で試したときはカウントが欲しいところでストライクを投げられたし、打者を詰まらせることが出来ました。打者の反応からも自信を得ることが出来ました」
笑顔で語っていた。
思えば、プロ1年目のこの時期は常に憂鬱そうな顔をしていた。「打者と勝負する前に自分と勝負しないと……」と消え入るような声で話していたのを覚えている。