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なぜ太田宏介はFC東京に復帰したか。
「僕の左足を一番必要としてくれた」 

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西川結城

西川結城Yuki Nishikawa

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posted2017/01/13 11:00

なぜ太田宏介はFC東京に復帰したか。「僕の左足を一番必要としてくれた」<Number Web> photograph by AFLO

太田宏介のクロスは低く、速く、そして正確だ。本気でJ1優勝を目指すチームにとって、大きな武器になることは間違いない。

フィテッセは最後まで太田を引き止めていた。

 フィテッセは最後まで太田を引き止めていた。最終的に現地では『放出』という報道がされたようだが、実際は違った。太田が残留の意志を持っていたなら、そのままプレーし、試合に出ていた可能性が高い。

 一方、日本にも彼の才能を放っておけないクラブがあった。以前FC東京の監督を務め、太田を指導していたマッシモ・フィッカデンティ監督が指揮する鳥栖も、高額オファーをフィテッセ側に提示。さらに1年前に違約金を得て太田の移籍を容認したFC東京が、今度は太田を買い戻すために資金を準備し、熱心にアプローチしていった。

 どこからも、彼は求められていた。その中で下した決断だった。

「本当に必要としてくれるチームでプレーすることが、選手にとっていちばん大事なんだとあらためて感じた。1年前、僕はフィテッセに完全移籍した。しかも4年という長期契約を結ぶことができた。何より僕を評価してくれている証だったし、本当にうれしかったです。ただ、今回FC東京はもう一度僕にお金をかけて獲得しようとした。他のクラブも含めて、真剣に僕を必要としてくれていたので、悩みましたけどすごくありがたい悩みでもあった。その中で、再評価してもらって古巣に戻ることは、何も悪いことではないと思った。何より自分らしいプレーができるところはどこかと考えたら、やっぱりFC東京だった」

最後はFC東京の熱意と太田の決断にクラブが折れた。

 FC東京入りが決まったのは、2016年の年末だった。昨秋辺りから日本のクラブがフィテッセと交渉を続けた中で、フィテッセは12月に入ってからも「今冬に移籍させるつもりはない」というメッセージを提示し続けていた。最後はFC東京の条件と熱意、そして太田の決断に折れる形で、移籍を容認したのだった。

 フィテッセのクラブ、さらに強化スタッフらは、常に一貫して太田を評価し続けてきた。しかし、現場では様相が違った。

 太田は前監督のペーター・ボス氏に能力を高く買われ、それに強化スタッフも同意したことで、好条件でオランダに迎えられた。ただチーム合流直前、ボス氏が他クラブに引き抜かれてしまう。新たにやってきた監督は、オランダでは珍しい守備的なスタイルの指導者だった。

【次ページ】 理由がわからず干されても、常にポジティブ。

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