ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
三沢光晴と蝶野正洋が築いた絆。
ノアと新日の蜜月、そして関係凍結。
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph byAFLO
posted2017/01/03 11:30
故・三沢光晴と蝶野正洋。この2人の信頼関係が、2つの団体の絆をつないでいた。今回の関係凍結を彼らはどう思っているのだろう。
三沢の侠気、そして新日本が感じた恩義。
すると三沢はこれを二つ返事で快諾。こうして蝶野正洋vs.三沢光晴の夢のカードが実現し、ドーム大会は成功。またこの当時、K-1やPRIDEといった格闘技の勢いに押されていたプロレス界が、久しぶりにその力を見せつけることとなった。
そして翌2003年5月3日の東京ドーム大会では、当時絶頂期にあった小橋建太の新日初参戦(蝶野vs.小橋)も実現。新日本は一番苦しい時期を、ノアの協力によって乗り切ったのだ。
その後、2000年代後半に両団体の交流が一度は途絶えるも、2009年から本格的に再開される。この年は3月に日本テレビ『プロレスリング・ノア中継』の打ち切り(CS放送「G+」へ移行)が決定。さらに6月にはエース三沢光晴が試合中の事故で亡くなるなど、大ピンチに陥った時期。勢いを取り戻した新日本によるノアへの“恩返し”という側面があった。
邪道と外道の姿は、現場の友好関係を示していた。
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ここから2016年末まで続いた両団体の関係は、新日本の古参幹部による「一番苦しい時に助けてもらったノアを、今度は我々が助ける番」という思いから続いていたと言われている。
それが2016年11月1日のノア事業譲渡で会社組織自体が変わったことで、両団体の関係にも変化が生じ、これまでと同様の交流を続けていくことができなくなったということだろう。
交流の“ラストマッチ”となった、12.24ノア後楽園でのGHCジュニアタッグ選手権の後、ベルトを明け渡した邪道と外道が、原田と小峠の勝利を素直に称えていた姿は、少なくとも現場レベルにおいては、両団体が“ケンカ別れ”でなかったことを示している。