清原和博への告白 甲子園13本塁打の真実

清原和博への告白 甲子園13本塁打の真実

定価:本体1300円+税

甲子園の怪物に敗れた11人の男たちからの“30年越しの告白”

PL学園時代の清原和博が甲子園で放った通算13本塁打は、今後破られることがない不滅の記録だろう。この13本は、ただの記録として残っているわけではない。甲子園の怪物に出会い、打たれた球児たちは、あの瞬間の”記憶”とともに、その後の歳月を歩んできた――。

今年6月、清原和博は覚せい剤取締法違反で有罪が確定した。甲子園歴史館からは清原和博の痕跡が消え、踏み入ってはいけない領域に手を染めてしまったヒーローの名前は世間の表舞台から消えていった。そんな中、甲子園で13本塁打を浴びたライバル全員が、30年以上の時を経て、あえて今、静かに口を開いた。これは、18歳の清原と49歳の清原への打たれた者たちからの“30年越しの告白”である。

単行本カバーで使用した写真は、1985年夏の甲子園決勝で清原和博が2本塁打を放った金属バット。31年前、彼を伝説にし、今は人目に触れることのない。甲子園の怪物が何度も何度も握ったグリップからは、大きな影が伸びていた。

目次

1 空白の一球

  • 1983年夏 決勝 横浜商 0-3 PL学園
  • 「あの決勝戦までフォークが落ちなかったことはなかった。今、思えば、打たれる運命だったとしか思えない」
  • (横浜商 投手 三浦将明)

2 封印された記憶

  • 1984年春 1回戦 砂川北 7-18 PL学園
  • 「ケタが違いましたよね。打球の速さも、飛距離も。あれだけのものを見せられたら……」
  • (砂川北 投手 辰橋英男)

3 心の傷

  • 1984年春 2回戦 京都西 1-10 PL学園
  • 「ピッチャーライナーだと思ったんですよ。でも、その打球がバックスクリーンを直撃していた。後にも先にも、あんなの初めてです」
  • (京都西 投手 真鍋知尚)
  • 「甲子園にいい打者が出てくるたびに見にいきました。でも、清原以上の打者はいなかった。最初は打たれたことの恥ずかしさもあった。でも、今は私の人生の中の大事なものです」
  • (京都西 投手 関貴博)

4 怪物に挑んだ絆

  • 1984年夏 1回戦 PL学園 14-1 享栄
  • 「錯覚なのかもわからないのですが、打った瞬間、バットの上にボールが乗っている感じがしたんです。すごく、ゆっくりというか。そういう感覚になったのは初めてでした」
  • (享栄 投手 稲葉太)
  • 「右中間にホームランを打つ姿を見ると『これが清原だよな』って思えました。それがうれしかった」
  • (享栄 投手 村田忍)

5 痛みのないホームラン

  • 1985年春 1回戦 浜松商 1-11 PL学園
  • 「なんでですかね。打たれた場面なのに、清原のホームランだけは見たいと思った。むしろ、一番見たくなかったのは歩かせたシーンなんです」
  • (浜松商 投手 浜崎淳)

6 最後のバッテリー

  • 1985年夏 準々決勝 高知商 3-6 PL学園
  • 「あいつ、笑っていたんですよ。『あそこまで飛ばすんか?』って言っているようでした。あの顔を見て、あいつも悔いはないということがわかりました。相手が清原で、すべてをぶつけることができましたから」
  • (高知商 捕手 岡村英人)

7 離さなかった白球

  • 1985年夏 準決勝 甲西 2-15 PL学園
  • 「甲子園で清原に会っていなかったら、高校を卒業して野球を辞めていました。事故の後も野球を続けていなかったと思います。ホント、感謝しとるんです」
  • (甲西 投手 金岡康宏)

8 伝説の裏でわかれた明暗

  • 1985年夏 決勝 宇部商 3-4 PL学園
  • 「清原と対戦できたというのは、僕のような投手にとって宝なんですよ。頭の先からつま先まで震える体験というのは、人生であの時だけですから」
  • (宇部商 投手 古谷友宏)
  • 「あの決勝は一生、引きずっていく。悔いが消えることはないです。振り返ると、僕はずっと清原を見てきたんだなあ、と思います。30年経っても、そういう気持ちにさせてくれるのは、あいつしかいない」
  • (宇部商 投手 田上昌徳)

著者プロフィール

鈴木忠平Tadahira Suzuki

1977年、千葉県生まれ。日刊スポーツ新聞社に入社後、落合監督の中日ドラゴンズ、和田監督時代の阪神タイガースを中心にプロ野球記者を16年間経験した。2016年4月に独立し、Number編集部に所属。Number908・909・910号「甲子園最強打者伝説」では「清原和博 13本のホームラン物語」を執筆。甲子園で清原和博が放った13本のホームランを打たれたライバル全員に取材をし、30年越しの想いと本音を引き出した。

ページトップ