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世界を駆ける小さな王者KUSHIDA。
Jrヘビー級の明るい未来への招待状。
posted2016/08/25 11:00
text by
原悦生Essei Hara
photograph by
Essei Hara
「あの頃のスーパーJカップとは違うのは当然だと思います」
8月21日。有明コロシアム。
優勝ガウン・ジャケットを着たKUSHIDAは、IWGPジュニアのベルトをしっかりと抱きしめて、獲得した小さな優勝トロフィーを見つめながら口を開いた。
1994年4月16日。まだ10歳のプロレス大好きの少年が両国国技館の一番後ろの席から見た第1回の「スーパーJカップ」には、獣神サンダー・ライガー、ワイルド・ペガサス、ザ・グレート・サスケ、ハヤブサ、ディーン・マレンコ、外道、ネグロ・カサス、スペル・デルフィン、大谷晋二郎、ブラック・タイガー、TAKAみちのく、エル・サムライ、茂木正淑、リッキー・フジが出場していた。
時代も違うし、レスラーも違う。その中で今年のトーナメント表に名前を連ねていたのはライガーだけだった。だが、その出場レスラーの中に、今はKUSHIDA本人がいるのだ。
これを彼は「夢のような世界」と表現した。
しかも優勝だ。
「感無量」万感の思いがあった。
ちょっと少ないが、有明に集まってくれた3000人のファンに感謝した。でも、自分も含めて両国で1万人が熱狂して、伝説化した「スーパーJカップ」の記憶は、あまりにも鮮烈だった。
身長も体重も普通の人と同じなのにプロレスラーに。
プロレスラーになる夢が捨てきれなくて、就職が決まっていたスポーツ新聞社を断って、メキシコに渡った。その会社からは「(ダメだったら)戻って来てもいいよ」という言葉ももらったが、その選択肢は自ら捨て去った。
身長も体重も普通の人と変わらない体でもプロレスラーにしてくれたのは、ルチャ・リブレの国メキシコだった。
2005年、KUSHIDA YUJIROは「YUJIRO」として、プロのルチャドールのライセンスを手にした。ライセンス・カード保持者のスペースには漢字で「櫛田雄二郎」と縦にサインした。
これで晴れてプロレスラーにはなれたわけが、順風満帆というわけにはいかなかった。