野球場に散らばった余談としてBACK NUMBER
虎の主将、ついにスタメンを外れる。
金本監督の胸中と、意地を見せた鳥谷。
posted2016/07/28 07:00
text by
酒井俊作Shunsaku Sakai
photograph by
Naoya Sanuki
白い砂浜、青々とした東シナ海、生い茂ったヤシの木には目もくれなかった。
沖縄の朝は早い。午前6時過ぎ、眠たげな目をこすりながら、選手が宿舎の部屋から出てくる。体重計に乗って、散歩に向かう。'04年2月の春季キャンプに初参加した鳥谷敬は大勢の若手記者を引き連れていた。まだ夜は明けたばかりで薄暗い。それなのに、黄金ルーキーの周りだけは、一言一句、聞き漏らすまいとする虎番で殺気立っていた。
いまでは笑い話だ。だが当時を振り返り、首をかしげながら「あれだけは、本当に勘弁して欲しかったですね」と苦笑いを浮かべるのだ。
もう12年も前だ。
そのキャンプ中に、初々しい表情でこんなことも話していた。
「40歳くらいまで野球をやりたい」
不惑までショートで活躍するのが、22歳鳥谷の志だった。激務のポジションを1人で死守する野望に燃えていた……。
練習終了直前に書き込んだ「鳥谷」の名前。
阪神の長い1日が終わった。
追いつ追われつのシーソーゲーム。'16年7月24日、広島との4時間20分の熱戦を制し、金本監督がマツダスタジアムの三塁側スイングルームに入ってきた。異例の監督会見だった。打撃戦になり、終盤は救援陣がビシッと締める。本塁打を放った原口文仁のほか、丸ら広島の主軸から連続三振を奪った藤川球児など、投打でヒーローが出た。だが、報道陣の関心は、たった1つのことに集約されていた。
野球記者たちから矢継ぎ早に質問が飛ぶ。「鳥谷がスタメンを外れたけど……」とか「今日伝えたのか……」とか「監督もフルイニング出場を続けたが……」などのほか「来週の火曜日以降は……」という、今後についても問われた。
後半戦初勝利だったが、話題は鳥谷のことだけ。この事実が、阪神にとって事態の大きさを物語っている。
最下位に沈み、借金は2桁を数える。故障者が続出し、主力は低調から抜け出せない。この日、ついに指揮官は断を下した。
鳥谷のスタメン落ち。
これまで続行中だった連続フルイニング出場は、667試合まで延びていた。遊撃手ではプロ野球最長の記録だ。プレーボールの2時間半前、好記録は終わりに向かって静かに時を刻んでいた。
練習では守備の達人、大和が遊撃でノックを受ける。鳥谷は三塁でゴロを捕り、一塁にスローイングするだけ。普段の定位置を守らなかった。
「異変」は細かいところにもあった。
ビジター試合ではいつも午後5時頃、マネジャーがベンチ内のホワイトボードに救援陣、控え野手の名前を書き込んでいくが、この日は真っ白のまま。練習終了間際に姿を見せたが「鳥谷」と書き入れたのは報道陣が消えてからだ。
外れると分かれば、騒々しくなる。
練習に集中するための配慮なのだろう。