ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
大仁田vs.船木の電流爆破マッチ実現。
“持たざる者”の知恵と勇気が交錯。
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph byYukio Hiraku
posted2016/07/19 07:00
前哨戦で大仁田を締め落とす船木だが、大仁田にとっての“我が家”である電流爆破でどのような戦いを見せるのか。
半年で潰れると揶揄されながらもハードコアを確立。
旗揚げ時には「半年で潰れる」と言われた、資金力もテレビ放送もなく有名選手もいない弱小団体FMWの奇跡の成功を受け、'90年代に入ると“二匹目のドジョウ”を狙って小規模団体が次々と旗揚げ。マット界は一気に多団体時代に突入する。現在の100団体にまで膨れ上がった原点は、大仁田のFMWにあったのだ。
またデスマッチ路線のフォロワー的な団体、W★ING、IWAジャパンなども旗揚げ。それ以外にもデスマッチを売りにした、弱小団体がいくつも生まれていった。
米国でも“ハードコアのパイオニア”との評価。
それはやがて海を越えてアメリカにも飛び火。“FMW育ち”であるサブゥーや、大仁田と電流爆破マッチを行ったテリー・ファンクが中心となった団体ECWがブレイク。大仁田が始めたデスマッチ路線は、“ハードコア・レスリング”と呼ばれるようになり、アメリカインディシーンのスタンダードとなり、大仁田自身も“ハードコアのパイオニア”という評価を受けるようになる。
なお、ECWは2001年にWWEに買収され、「RAW」「スマックダウン」に次ぐ第3のブランドになり、2010年まで形を変えながら存続。そのECW番組終了翌週から新たにスタートしたのが、いま中邑真輔が活躍する「NXT」であり、歴史を遡れば、FMWはWWEにも影響を与えていると言えるのだ。