オリンピックへの道BACK NUMBER
睡眠と同じくらい毎日ずっと水泳を。
北島康介、28年間の幸せな競技生活。
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byYohei Osada/AFLO SPORT
posted2016/04/12 17:00
日本選手権で敗れた後、記者会見で引退発表をした北島。最後まで清々しい笑顔だった。
「みんながああいう風になりたいという選手だった」
強くて速い選手であるばかりにとどまらなかった。
子どもと触れる機会があれば、やさしく接する姿があった。
他の選手を率直に称えてきた。後輩たちにも好かれてきた。
4月10日の引退記者会見の場には、駆けつけた現役選手たちの姿もあった。
平井コーチは、200m決勝後、こう言って涙を流した。
「みんながああいう風になりたいという選手だった」
「中学で担当してから、世界のトップになったら、誰からでも好かれる選手になってくれと話はしていたので、そうなってくれてほんとうにうれしいです」
率直な感情表現とともに、北島は決して思いやりを忘れはしなかった。そんなトップアスリートとして示してきた姿もまた、200m決勝後の拍手の理由だった。
日本代表になれば金メダルが獲れると意識させた。
最大の功績は、平井コーチの次の言葉にあるかもしれない。
「私がコーチを始めた頃は、金メダルは特別な人が特別なことをしないと獲れないもの、メダルを獲れるのは限られた人間だと思われていました。でも、康介が世界新、金メダルって言うもんだから、全体の意識が上がっていった。日本代表になったらメダルが獲れる、金メダルが目指せるんだという意識を広げてくれた男です」
高い目標を言葉にし、それを実行してきた。それは選手たちを、「自分たちでもできるんだ」と鼓舞した。
「睡眠と同じくらい時間を費やしてきた、僕のベストパートナーです」
北島自身、このように表現する水泳で、結果を残すことによってあとに続く選手たちのモデルとなってきた。そしてリオデジャネイロ五輪を目指す過程で、自分を信じ、挑戦する意義をあらためて伝えた。実績だけでは生まれない存在感を放ってきた。
北島康介は、最後まで北島康介だった。