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君はボブ・ホーナーを知っているか?
野茂、イチローらMLB新人王の系譜。
text by
ナガオ勝司Katsushi Nagao
photograph byGetty Images
posted2015/11/26 10:30
来日前、メジャーでプレーしていた頃のホーナー。日本では「赤鬼」とも呼ばれた。
FAでMLBに「干されて」、来日することに。
その名前を聞いて「おお、懐かしい!」と思った人は、古くからの野球ファンではないかと思う。そう、バブル景気に乗って日本へやって来た「現役バリバリ」の"助っ人"外国人選手、元ヤクルトスワローズのホーナーである。
ホーナーはドラフト指名された1978年(奇しくもヤクルトが球団史上初の日本一を成し遂げた年だ)、前出のブライアント三塁手(カブス)が獲得したゴールデン・スパイクス賞の第1回目の受賞者となった。
1979年にマイナー行きを拒否してデビューし、いきなり23本塁打を記録して最優秀新人に選出されたホーナーは、その後もブレーブスの主軸打者として活躍して1986年終了後にFAとなった。そんな彼が翌1987年に29歳の若さでヤクルトスワローズに入団した最大の理由は、同時期にホーナーをはじめとするFA選手がメジャーリーグから「干されたから」である。
バブル初期に日本を訪れ、旋風を巻き起こした。
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1985年からの3年間、メジャーリーグのオーナーたちは、当時コミッショナーだったピーター・ユべロス氏の指揮下でFAとなった他球団の選手たちとなるべく新規の契約を交わさぬよう共謀した。その理由は高騰し始めた選手の年俸を抑制するためである。結果的に多くの選手たちは旧所属球団と以前と同じかそれ以下の単年契約で再契約するよう追い込まれ、中にはホーナーのように所属球団が決まらぬまま開幕を迎える選手もいたという。もちろん、"戦う組合"である米国の選手組合は公式の場で「共謀は労使協定違反」だと真っ向から訴え、後にオーナー側が当時のFA選手たちに2億8000万ドルの賠償金を支払うことになったが、それは後の話である。
メジャー球団のオーナーたちの共謀によって職を失ったホーナーが、ヤクルトと契約したのはバブル景気初期の1987年4月18日である。彼は同月27日に来日して日本デビュー戦となった5月5日の阪神戦でいきなり第1号本塁打を記録すると、翌日には3本の超特大ソロ本塁打を放って「ホーナー旋風」を巻き起こした。ただし、ブレーブス時代からの故障に泣かされて、出場は93試合355打席のみ。外国人選手初の「規定打席未満での30本塁打以上(31本塁打)」達成となった(後に近鉄のブライアントやヤクルトの後輩バレンティンらも記録している)。