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北京は“ボルト伝説”始まりの地。
「俺の種目」200mで夢の18秒台へ。 

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生島淳

生島淳Jun Ikushima

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posted2015/08/20 10:20

北京は“ボルト伝説”始まりの地。「俺の種目」200mで夢の18秒台へ。<Number Web> photograph by AFLO

ロンドンで劇的な復活を遂げ、満足気な表情で観客を煽るウサイン・ボルト。2017年の引退を表明している稀代のスプリンターを観られるのはあと2年だ。

 ウサイン・ボルトというスプリンターは、「世界陸上」という獲物を狙い、仕留め、成長してきた。

 私がはじめてボルトを見たのは、2007年の大阪での世界陸上だった。200メートルでは19秒91で2位。このときは優勝したタイソン・ゲイ(アメリカ)に注目が集まっていたこともあり、ボルトは背の高いやんちゃな若者で、ゲイに比べれば話題性は少なかった。

 しかし彼の自伝によれば、ゲイに敗れたこの夜、コーナーからホームストレッチにかけて驚異的な加速を見せたゲイの走りに衝撃を受け、夜中にコーチの部屋を訪ねている。

「どうしたら、勝てるんだい、コーチ?」

 真夜中の話し合い。そしてコーチに対して妥協のない練習を誓う(遊び盛りだったボルトは携帯電話を封印、友達とのメールも断って練習に打ち込んだというのがカワイイところ)。

 世界陸上がスプリングボードとなり、翌2008年の北京五輪では100メートルで9秒69、得意の200メートルでも19秒30という衝撃の世界新記録をマークして金メダルを獲得した。

 世界のスーパースター、ウサイン・ボルトの誕生である。

世界陸上でボルトはドラマを作り続けてきた。

 そして2009年のベルリン世界陸上では100メートルでの記録を9秒58、200メートルでは19秒19へと伸ばす。この記録は未だに誰にも破られていない世界記録だ。

 世界陸上とボルトの相性は抜群だった。2011年の大邱大会までは……。このときは100メートルで痛恨のフライング。私は記者席で見ていたが、ボルトがフライングした瞬間、席を立ってしまった人がいたほどだ。

 しかし、この失敗を教訓として、ロンドン・オリンピックでは再び100、200メートルでともに王座に就いた。

 ボルトが世界陸上で走ると、何かしらドラマが起こり、それがオリンピックへの伏線となる。

 さて今回、北京でどんなドラマが待っているのだろうか。

【次ページ】 今年の前半は不調に苦しみ、200mでは1秒以上遅く。

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