Jをめぐる冒険BACK NUMBER
変わりたい、と願うFC東京の2人。
前田遼一と平山相太が迎える正念場。
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byMakoto Miura
posted2015/01/26 10:40
FC東京の練習着に身を包んだ前田遼一。リーグ戦137ゴールは中山雅史、マルキーニョス、佐藤寿人、三浦知良に続き5位。偉大なる先輩“ゴン”の157得点に手は届くか。
もうひとり、変化を心から求める男がいる。
前田が新たな冒険のスタートを切った日、小平の練習場にはもうひとり、変わろうとしている男がいた。
新シーズンのメンバーリストを眺めていて目に止まったのは、ヴィッセル神戸に移籍した渡邉千真が付けていた「9」だ。そこには新加入選手ではなく、'07年から8シーズンにわたって「13」を背負ってきた選手の名前が記されていた。
今年、30歳を迎える平山相太である。
この変更は、自ら望んだものだったという。
「背番号を変えることで自分にプレッシャーを掛けるというか、自分の責任をもっと大きくしたいと思いました」
'06年に加入したものの、高校時代やオランダ時代の1年目のような輝きを放てていなかった平山に、復活の兆しが見え始めたのは'09年夏以降だった。当時、チームの指揮を執っていた城福浩監督に促され、意識改革に取り組んだ。
それまでは気分屋で、「どうにかなる」という甘い考えを持っていた男が、練習後に黙々と走り込み、万全の準備をして試合を迎えるようになった。
完全復活、そして度重なる怪我。
そうした努力が大舞台で実る。'09年11月のナビスコカップ決勝でゴールを奪うと、年が明けた1月、日本代表のイエメン遠征で、デビュー戦にしていきなりハットトリックを成し遂げる。
「あの年、僕はプロとして本当のスタートを切れたと思います」
完全復活を誓った'10年、チームはJ2降格の憂き目に遭ったが、彼自身はプロキャリアにおいて初めてシーズンを通して主力として出場し、7ゴールをマークした。
ところが、エースとしてさらなる活躍が期待された'11年、脛骨・腓骨の骨折でシーズンを棒に振ると、翌年にも腓骨・短腓骨筋を挫傷して離脱。その結果、'11年は1試合、'12年は4試合の出場に留まった。
二度にわたる大ケガを克服した'13年は途中出場が続いたが、昨季はエドゥーと熾烈なポジション争いを繰り広げ、先発出場の回数を増やしていた――。
試合中に危険なタックルを浴び、右足首を骨折したのは、そんなときだった。
「ケガが続いてチームに迷惑をかけているんで、恩返しというか、チームに貢献したいと思っています」