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安楽智大が殻を破る時の、ある感覚。
高校時代に3度見えた「軌道」とは?
text by
中村計Kei Nakamura
photograph byAFLO
posted2015/01/04 10:40
衝撃のデビューから、故障、そして部内でのいじめ問題など、波乱万丈の高校野球生活を送った安楽智大。楽天でどんな復活劇を見せてくれるのだろうか。
「軌道」を目にするたびに、殻を破ってきた。
安楽が最初に「軌道」を見たのは1年夏、準決勝戦の今治西戦だった。左打者へのインコースのストレート。川之江戦のときと同じコースへのボールだった。そのときも当時の自己最速となる148kmをマークした。
二度目は2年春、準優勝することになる選抜大会第2戦の三重戦だった。そのときは高めの真っ直ぐで155kmを記録した。
安楽は軌道を目にするたびに自己最速記録を塗り替え、殻を破ってきた。
2年夏は結局、愛媛大会こそ制したものの、大会後に右肩の後ろの筋肉に違和感を覚え、甲子園では本来の投球ができないまま3回戦で姿を消した。続く2年秋は今度は右ヒジを痛め、その影響で3年時は春夏と甲子園を逃す。結局、安楽は2年夏の愛媛大会を超える投球を見せられぬまま高校生活を終えた。
潜在能力、スター性は安楽がダントツ。
2年の夏まで、プロスカウトの安楽の評価はダントツだった。順調に育てば、それこそドラフト会議における最多指名記録を塗り替えるのではないかと思えるほどだった。しかし2年秋にヒジを故障し、その後も調子が戻らず評価は急降下する。結局、ドラフト会議で1位指名に踏み切ったのはヤクルトと楽天の2球団にとどまった。
しかし、本人が言うようにヒジの状態さえ万全であれば、潜在能力はもちろんスター性という点においても、2015年のルーキーの中では安楽がダントツだろう。
楽天は田中将大、松井裕樹と、甲子園のスターを育てた実績もある。その流れにうまく乗り、また軌道が見えることがあったならば。そのとき、安楽が目標に掲げる「160」という数字も夢ではなくなる。