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フジキセキの「最後の息子」が1冠。
父に似ず“大人しく勝つ”しなやかさ。
text by
阿部珠樹Tamaki Abe
photograph byKYODO
posted2014/04/25 10:40
皐月賞を制し、ここまで6戦5勝。負けは新潟2歳ステークスの2着のみ。次の目標は6月1日の日本ダービー。4戦無敗の東京競馬場で二冠なるか?
年を取ってから生まれた子どもはかわいいという。
「馬だってそうさ」
フジキセキに聞いたら、そう答えるのではないか。
大混戦といわれた今年の皐月賞はフジキセキの子ども、イスラボニータが勝った。父親は現役のとき、皐月賞トライアルの弥生賞まで無敗で通過して、皐月賞も楽勝するだろうといわれながら、調教で屈けん炎を発症して引退に追い込まれた馬である。無事なら三冠馬にもなれたという人もあるだけに、息子の皐月賞制覇は人間なら「感慨無量」と感想を述べたかもしれない。
フジキセキは種牡馬としてNHKマイルカップのダノンシャンティ、マイルチャンピオンシップのサダムパテック、ジャパンカップダートのカネヒキリなどのGI馬をはじめ、多くの活躍馬を送り出していたが、3歳クラシックの勝ち馬は1頭もいなかった。自身の挫折と考え合わせると、よくよくクラシックに縁のない馬と思われていた。種牡馬としても高齢になり、2011年以降は種付けを遠ざかっている。イスラボニータはおそらくフジキセキが送り出す最後の世代の1頭だろうといわれている。その最後の世代から待望のクラシックホースが生まれたのだ。
「年を取ってからの子どもはかわいい」
「やっぱり作れるときには作っておくもんだよ」
牧場で後輩の種牡馬にそんな話をしているかもしれない。
ディープの誕生を見届けるように世を去ったサンデー。
考えてみれば、フジキセキの父、あの大種牡馬のサンデーサイレンスも、最高傑作ディープインパクトを世に送り出したのは死んだ年だった。まるで3月のディープインパクトの誕生を見届けるようにして8月に世を去った。ディープインパクトのあとには1世代がいるだけだから、最晩年の子どもといってもよいだろう。最晩年に最高傑作というのは簡単なことではない。川端康成も黒澤明も遺作は最高傑作とはいえないからなあ。
だが、フジキセキは種牡馬として末っ子の活躍に目は細めても、そのあと小声で「オレとはあんまり似てねえなあ」と付け加えたのではないか。