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野球に「誤審」は決して存在しない!
ビデオ判定に思う、審判の権威とは。
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph byNewscom/AFLO
posted2014/01/23 16:30
日本で一躍「有名」になったデービッドソン主審と、抗議する王貞治監督。
審判が軽んじられることがあっては決してならない。
メジャーリーグで導入されたルール改正は、1年後にNPBでも採用されるのが慣例となっている。日本でこの新ビデオ裁定を導入するためには各球場のビデオ撮影のインフラ整備や、人員の確保など、新たな課題が横たわっているが、そういう方向で進んで行くのは時代の流れなのかもしれない。
ただ、そんな時代の流れにあっても、野球において審判とは陰の主役であり、その権威を守らなければならないことに変わりはない。
最近は審判の権威が下がったという声を現場で聞くことも多い。その背景に、技術的な低下を指摘する声もあるが、一方で過去には問題にならなかった微妙な判定が、すぐにビデオで再生されて、100分の1秒単位で正否が明らかになるということの影響もあるだろう。
ビデオ判定がさらに拡大されることによって、今まで以上に審判の権威は揺らぎ、審判の存在感を軽んずる監督や選手、そしてファンが出てくるかもしれないが、決してそうあってはならない。
野球文化が大きく変わるかもしれないビデオ判定の導入。大きな流れの中では仕方ないと受け入れつつも、そういう極めて人間的な騒動に、野球のもう一つの楽しさを感じる者としては、何とも味気ないと嘆くばかりである。