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野球に「誤審」は決して存在しない!
ビデオ判定に思う、審判の権威とは。
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph byNewscom/AFLO
posted2014/01/23 16:30
日本で一躍「有名」になったデービッドソン主審と、抗議する王貞治監督。
野球規則「審判員の裁定」の項目を見てみると。
野球規則9・02「審判員の裁定」では「審判員の判断に基づく裁定は最終のものであるから、プレーヤー、監督、コーチ、または控えのプレーヤーが、その裁定に対して、異議を唱えることは許されない」と明記されている。
この審判員の裁定が最終的で絶対的だという原理の下で、これまで野球というスポーツ文化は作られてきた。
比較的、最近の例を書く。
読者もご記憶と思うが、2006年に行なわれた第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の2次ラウンド、日本対アメリカ戦で起こった「騒動」である。
3-3の同点で迎えた8回1死満塁。日本チームの6番打者・岩村明憲が左飛を打ち上げ、タッチアップした三塁走者の西岡剛が勝ち越しのホームを踏んだかと思ったプレーだ。
しかしアメリカが「離塁が早かった」と抗議すると、主審のボブ・デービッドソンがこれを認めて西岡にアウトを宣告。日本の4点目は認められなかった。王貞治監督が猛抗議をしたが受け入れられず、試合は9回にサヨナラで日本が敗れる結果に終わった。
これで日本の2次リーグ突破が絶望的になるのだが、結果的にはメキシコがアメリカを破る番狂わせで命拾い。決勝トーナメント進出を果たして世界一へと登り詰めたのはご承知の通りだ。
「誤審ではありません」と即座に訂正したイチロー。
何度もビデオで確認したが、西岡の離塁は決して早くはなかった(と思う)。しかし、後にイチローにこのことを取材したときに「誤審騒動」という言葉を使うと、即座にイチローから「誤審ではありません」と訂正されたのを覚えている。どんな判定でも野球に於いて審判の判断は「最終」のものだからだ。
そしてもう一つ、結果的にはこの「騒動」が、日本の野球文化に大きなインパクトを与えるきっかけになったことも見逃すことができないのである。
デービッドソンの判定は翌日からテレビのワイドショーなどでも大々的に取り上げられた。「騒動」によって日本ではもう一つ、盛り上がりに欠けたWBCへの注目度が一気に高まって、以後の試合が国民的な関心事となったのも忘れてはならない。
WBCはその後、日本の野球文化の中で大きな役割を果たす大会となっている。すべてとは言わないが、その文化を動かすきっかけになった一つに、この「騒動」があったのはまぎれもない事実だ。決して完全無比ではない審判という存在もまた、野球の一部であり、それが野球文化を形作ってきたということに思いは至るのである。