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満身創痍で賞金王に輝いた松山英樹。
記録づくめの戴冠は“史上最強”か。
text by
桂川洋一Yoichi Katsuragawa
photograph byNIKKAN SPORTS
posted2013/12/02 16:30
史上初、ルーキーイヤーでの賞金王となった松山英樹。怪我に苦しみながらも、池田勇太との競り合いを制して今季4勝目を挙げた。
「ちょうどいいハンデだ」
シーズンが佳境を迎えるにつれ、周囲は悪戯っぽく、そうささやくようになった。
満足いく素振りもできないままアドレスに入り、クラブを放り投げんばかりにグリップから手を離し、ロープの外まで聞こえてきそうな溜息を吐いては、亀のように首を引っ込めて次のプレーへと向かう。
それでも彼のボールは誰よりも遠くへ飛び、カップの近くに突き刺さっていた。
今年4月、プロ転向を表明した松山英樹は、2戦目つるやオープンを皮切りに9月までに3勝。その間には全米、全英オープンと立て続けに海外メジャーでトップ10入りを決め、米ツアーのシードも獲得。瞬く間に世界が目を見張る存在となった。
その代償は大きく、度重なる長距離移動に連戦で疲労が蓄積された。予選落ちでもしてみれば、少しは休養の足しにはなったかもしれないのだが、10~11月に米ツアーで2度の棄権を強いられるまで、決勝進出を逃したのはわずか1度。21歳の体は蝕まれていった。
痛み止めの薬を服用しながらも、賞金王を戴冠した。
しかし、復帰した日本ツアー後半戦。本人も「10月を過ぎた辺りから、自分でも分からない疲れとかがあったのかなと思う」という苦しい戦いの中でも、松山は強かった。
痛めた背中に手をやり、コースには医師の診断書を携えて入った。胃腸を壊し、右の頬を大胆に腫らしたままプレーしても、上位での戦いが続いた。だからどの試合でも、松山の名前が優勝候補から外れることは無かった。
「ずっと我慢していれば、自分にもチャンスがあるという気持ちでプレーしていたら、落ち着いてプレー出来るようになって、そこが良かったかなと思います」。ゴルファーとしての礎を築いた故郷のひとつ、高知で行われたカシオワールドオープンも同じ。ラウンド中に左手親指の痛み止めの薬を服用しながらも動じず、賞金王を戴冠した。
口悪く言えば「ボロボロの松山vs.その他」。後半戦はまさに、そんなハンデキャップマッチの連続として捉えることもできた。