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カブスの惨事と生贄の10年。
~バートマン事件が変えた運命~ 

text by

芝山幹郎

芝山幹郎Mikio Shibayama

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photograph byGetty Images

posted2013/10/19 08:03

カブスの惨事と生贄の10年。~バートマン事件が変えた運命~<Number Web> photograph by Getty Images

運命を変えた1球だが、もしカブスが勝っていれば問題にならなかっただろう。

10年間、メディアからもスタジアムからも距離をとった。

 それから10年――。

 2013年10月14日付のニューヨーク・タイムズが、《バートマンはどうしているか》という記事を掲載した。

 結論からいうと、36歳になったバートマンは、いまもシカゴに住んでいる。金融関係のコンサルト会社に勤務し、「幸福で健康な生活を送り、いまもカブスのファン」でいるらしい。もっとも、これは親しい知人の証言で、バートマン自身は取材に応じていない。

 より正確にいうと、この10年間、彼は一切の取材に応じなかった。あの試合の直後、カブス・ファンに謝罪する声明を発表したのを最後に、彼はメディアとの関わりを絶った。高額の謝礼を提示して「真相の告白」をうながす媒体もあったようだが、それもすべて拒んでいる。大好きだったリグレー・フィールドへも足を向けていない。

 理由のひとつは恐怖だろう。アルーが球を捕りそこなった瞬間、バートマンにはビールやコーラが雨あられと降りそそがれた。係員に連れ去られたバートマンは、球場の片隅でいったん保護され、試合後、入念な変装をさせられて、身の安全を確保できる場所に移送された。そしてしばらくの間、彼の行方は杳として知れなくなった。

「球にさわるな」という叫びが耳に届いていたら……。

 ただ、事件から10年が経過したいま、バートマンを責める声はほとんど聞こえなくなっている。打球が観客席に飛んでいたことは事実だし、大量失点を招いたのはゴンザレスのエラー(打ったのは、当時20歳のミゲル・カブレラ)がきっかけという意見が強くなったからだ。投げていたプライアー自身、「負けたのはバートマンのせいじゃない」と擁護した。一部には、彼をリグレーに呼んで始球式をさせろという声さえある。

 だが、別の一部にしつこい怨嗟の声が残っている事実は覆いがたい。カブスは相変わらず弱く、2012年から'13年にかけて197敗を喫した。ワールドシリーズに出たのは1945年が最後だし、シリーズを制覇したのは1908年が最後だ。

 この長い氷河期は、いつか終わりを告げるのだろうか。終わりを告げれば、バートマンを難詰する声は消えるかもしれない。バートマン自身も、それまでは隠棲をつづけるつもりだろう。しかしあのとき、彼がもしヘッドフォンを装着していなかったら……と私は思う。「球にさわるな」という周囲の叫びが耳に届いていたら、カブスの運命も、青年の運命も、まったく別の方向に転がっていたかもしれないではないか。

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