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2018年までのF1開催が正式決定。
鈴鹿がF1界から愛される理由。 

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尾張正博

尾張正博Masahiro Owari

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photograph byGetty Images

posted2013/10/06 08:01

2018年までのF1開催が正式決定。鈴鹿がF1界から愛される理由。<Number Web> photograph by Getty Images

シンガポールGPに登場した、F1運営組織のCEOバーニー・エクレストン。開催地の選択権などを一手に握る、まさにF1界のボスである。

「鈴鹿のファンは、いいなあ」

 2006年のレース後、サーキットを後にしようと、パドックからヘリポートへ車で移動中、多くの観客から「バーニーさん、バーニーさん」と声をかけられたF1界の実力者、バーニー・エクレストンは、そうつぶやいたという。

 1987年から日本GPを開催していた鈴鹿だったが、2002年にトヨタがF1に参戦して日本でF1ブームが再来すると、鈴鹿で行なわれてきた日本GPの開催権に微妙な風が吹き始めた。トヨタの100%子会社である富士スピードウェイが誘致に動き出したからである。

 富士スピードウェイは1976年に日本で初めてF1を開催した地。しかも、首都東京からも近い。さらに富士スピードウェイは、同じくF1開催を目指して造られたセパン、バーレーン、上海、イスタンブールなど、世界各国のサーキットを手がけてきたヘルマン・ティルケに改修を依頼し、全面リニューアル。そして、ついに2007年からの日本GP開催にこぎ着ける。

 2006年は20年間、日本のF1を支え続けてきた鈴鹿での最後のF1開催だった。しかし、鈴鹿サーキットを運営するモビリティランドの海野勝代理人は、エクレストンの車に同乗して冒頭の言葉を聞き、「いつの日か、必ず鈴鹿にF1が戻ってくる」と信じて疑わなかったという。

「カムイ・コール」が沸き起こった2012年の鈴鹿。

 海野の思いは間違ってはいなかった。それから1年後の2007年秋にエクレストンは富士と鈴鹿の交互開催を決定。3年後の2009年に鈴鹿にF1が帰ってきた。しかし、2009年はモビリティランドの親会社であるホンダがF1から撤退して、すでに姿を消したシーズンだった。その直後、富士スピードウェイもF1の開催から全面的に手を引くことを発表。2009年末には、トヨタもF1から退いた。2010年以降の日本のF1が不透明になったそのとき、鈴鹿は2010年以降もF1を開催し続けることを発表した。

 F1から日本メーカーが次々に姿を消した2010年。鈴鹿とともに日本のF1を支えたのが小林可夢偉だった。その可夢偉が2012年に日本人として3人目の表彰台を獲得した場所もまた、鈴鹿だった。表彰式で沸き起こった「カムイ・コール」を聞いて感動していたのは日本人だけではなかった。海外のあるベテランジャーナリストは言った。

「こんな感動的な表彰式はアイルトン・セナが初めて母国で優勝した1991年のブラジルGP以来だ」

【次ページ】 エクレストンが異例の事前発表を許した理由。

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