自転車ツーキニストのTOKYOルート24BACK NUMBER
三分坂、鳥居坂、芋洗坂、狸穴坂……
坂だらけの港区に東京の歴史を見た。
text by
疋田智Satoshi Hikita
photograph bySatoshi Hikita
posted2010/09/18 08:00
ヒルズの裏に名物坂あり。
六本木ヒルズは、その言葉通り、丘の上に建っている。ということは、どこに向かっても下り坂ということで、最も有名な下り坂「鳥居坂」を下りると、麻布十番に着くわけだ。
一般に「地名」というものには、必ずいにしえの語源がある。「言葉の化石」という言い方もあるくらいで、たとえばこの鳥居坂にしても「どこに鳥居が?」と探してみたら、ない。この坂の「鳥居」とは、ここに江戸時代なかばまであった大名・鳥居家の屋敷に由来しているのだという。
六本木には、もう一つの有名坂「芋洗坂(いもあらいざか)」なんてのもある。これはそのまま、この坂がかつて芋を洗うような場所だったということを示している。実際に、ここにはかつて小川があって、芋を洗うオバちゃんがたくさんいたのだそうだ。
芋洗坂だけじゃない、六本木の南側には「狸穴坂(まみあなざか)」「鼬坂(いたちざか)」「鼠坂(ねずみざか)」と、これはもう、狸はいるわ、鼬はいるわ、の、どんなに山深い田舎の光景かと思うような坂名が頻出するのである。
実際に麻布は江戸時代まではただの田舎だった。原宿や目黒にまで足をのばすと、田舎どころか原野だったという。それが今では、ザ・高級繁華街であるか、ザ・高級住宅地である。
時は流れる。江戸期の「田舎」が、大正・昭和期に「超高級高地価地帯」となった。そのことがこの地に味わいを生んでいる。
おしゃれな街、麻布の不思議。
麻布にはまだ多くの謎がある。地図上に「こ、これは?」と思う謎が数々ある。ビルの谷間に横川省三記念公園ってあるが、「横川省三って何者だ?」なんて思う。そもそも西麻布、東麻布、南麻布だけでなく、元麻布、麻布台、麻布十番、麻布永坂町と、ヘンに色々分かれてる理由は何か。麻布永坂町に「○丁目」がない理由は? また、丘の上にある麻布と、丘の下にある麻布。同じ麻布の名前がついていながら、街のテイストは見事に異なっている。
なーんてことを思いながら、走っていくと、お、元麻布ヒルズに出た。これまた巨大かつ奇天烈なタワーマンションで「わ、倒れそう(写真参照)」に見えるが、これがセレブなスーパー億ションなのだという。ここに、かのカルロス・ゴーン日産社長なども住んでいる。
で、ここから麻布十番に降りていくと、おお、港区には似合わない、庶民的な商店街が広がり、昭和40年代、50年代に建築された、低層のビンテージマンションが並んでいる。
麻布の谷。大江戸線、南北線が開通するまでは、港区のブラックホールだった。実に味わい深い。