南ア・ワールドカップ通信BACK NUMBER
岡田監督の方向転換をどう考えるか?
“6・24決戦”への複雑な想い。
text by
戸塚啓Kei Totsuka
photograph byFIFA via Getty Images
posted2010/06/24 11:00
静かな胸の高鳴りを感じている。
「まだまだ足りないところはたくさんあるけれど、でも、僕はいけると思っている。そのために作ったコンセプトだから」
'09年2月にインタビューした際に、岡田武史監督からこんな言葉を聞いた。W杯ベスト4という目標から逆算して、現段階でのチームにどの程度の手ごたえをつかんでいるのか、という質問の答えである。
自信たっぷりというわけではないものの、答えに窮するところのない落ち着いた口ぶりに、懐疑的だった僕の気持ちは揺さぶられた。眼鏡の奥の瞳に、強くて揺るぎない意志を感じたからだった。
「そこそこの結果」ではなく「世界を驚かせる」ために、「日本人だからできない」のではなく、「日本人でもできる」という発想の転換をためらわない。どこかの国の物まねではなく、日本人らしいサッカーを作り上げるのは、世界のトップクラスを目ざすためにいつかは通らなければいけない過程だ。だからこそ、「ベスト4」という目標にたどり着けなくても、岡田監督が代表チームを率いることに、僕は大きな意味を見出した。
「ベスト4」のための戦術が急に方向転換した時の違和感。
日本がベスト4を目ざすと聞いたら、欧州や南米の強豪国は一笑に付しただろう。実際に、テストマッチやW杯予選でやってきた対戦国の監督たちは、ほぼ例外なく遠まわしに否定した。
だが、グループリーグ突破が目標と言われるよりは、はるかに興味深い。面白い。何よりも、「いけると思っている」と語る根拠を突きとめたい、と思った。ドイツ大会のチームに比べれば明らかに小粒なチームが、どこまで成長するのかを見ていきたい、と思った。
それだけに、大会直前での急激な方向転換には強い違和感を覚えた。大小の批判にさらされながら貫いてきたパスサッカーは、韓国に敗れた埼玉スタジアムで破り捨てられた。W杯の直前というタイミングである。'08年1月からの積み重ねは何だったのか。以前とはまるで違うコンセプトで戦うのであれば、監督を代えたことと同じではないか。イングランドと接戦を演じても、僕自身の気持ちは晴れなかった。
自問自答する。この2年半の日本サッカーの成長を。
しかし、ディフェンスに軸足を置いた岡田監督のサッカーは、グループリーグ突破の可能性を最終戦までつなげることに成功した。カメルーンに勝利してから、僕は何度となく自分に問いかけている。
南アフリカのピッチで、日本人だからこそできるサッカーが展開されているのか。
日本人の可能性を、世界相手にぶつけているのか。
選手は楽しそうにプレーしているのか。彼らの躍動感溢れるプレーに、心を動かされているのか。
自分の気持ちをごまかさずに明かせば、「イエス」とは言えない。日本国内は相当な盛り上がりと聞くが、2年半に及ぶプロセスの着地点としては、どうしても納得できないところがある。