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<五輪への過酷な最終関門> 北島康介/寺川綾/入江陵介 「一発選考がニッポンを強くする」
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byAFLO
posted2012/07/17 06:00
「ここは通過点ですから」入江が見せた4年間の成長。
失敗をばねに強くなった。そんな選手たちもいた。
背泳ぎの入江陵介は、落ち着いた態度で大会を過ごしていた。最初の種目、100mに登場すると、予選から他の選手を寄せつけないタイムを出し続ける。決勝では、昨年の世界選手権で自身が銅メダルを獲得したときの52秒98を上回る52秒91をマーク。やすやすと派遣標準記録を突破し、優勝で代表入りを決めた。
入江は、どちらかといえば200mに強い選手と見られてきたが、100mもメダル圏内にいることを改めて示すタイムだった。
冷静に、勝つべくして勝ったように見えた入江は、レースを振り返って言った。
「ふつうに泳げば大丈夫だと思いますけれど、まわりの人からそう言われるのがすごいプレッシャーでした。スタートで滑ってしまったらとか、よけいなことも考えてしまって」
入江には、苦い思い出がある。'08年の日本選手権の100mで3位にとどまり、この種目の北京五輪代表入りを逃したことだ。選考会ならではの重圧から思うように泳げず、100mのレース後は、ショックで何をしていても涙が出るほどだった。200mでは代表入りを果たしたが、あの思いは今も忘れていない。
「4年前は、すごく苦しくて。4年が経って、成長したなと思います」
200mでもロンドンへの切符を掴んだ入江は、胸を張って、こう続けた。
「ここは通過点ですから」
「もっと緊張したいですね」と語る寺川の真意とは。
奇しくも同じ言葉を口にした選手がもう一人いた。背泳ぎで代表になった寺川綾だった。寺川は100mの準決勝後、こう口にした。
「もっと緊張したいですね」
緊張を露わにする選手が目立つ中では意外な言葉だった。事実、招集所から堂々と入場するさまは、緊張に苛まれていないことを物語っていた。そこに4年前との違いが凝縮されていた。
'04年のアテネ五輪代表だった寺川は、'08年の北京五輪に出場できなかった。張りつめた表情で臨んだこの年の日本選手権で、100mは4位、200mは3位にとどまったのだ。
「今後どうするかは休んでから考えます」
と涙を浮かべた寺川は、その年の暮れ、平井伯昌コーチの門戸を叩き、ロンドンを目指してきた。
今大会では、オリンピックでメドレーリレーのメンバーになることも考慮し、200mを回避。唯一の出場となった100mの決勝で59秒10と、自身の持つ日本記録を0秒03更新し、代表の座を手繰り寄せた。
「4年間、この一瞬を待っていました」
と、ほっとした表情を浮かべた。それでも手放しの喜びようではなかった。