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<五輪への過酷な最終関門> 北島康介/寺川綾/入江陵介 「一発選考がニッポンを強くする」
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byAFLO
posted2012/07/17 06:00
7月27日の五輪開幕に向け、このシリーズを全文公開していきます!
今回は、北島康介、寺川綾、入江陵介らが挑んだ競泳日本選手権に密着。
決勝で2位以内かつ、国際大会ベスト16相当のタイムでなければ、
五輪代表の座をつかめない過酷な一発選考に、選手たちはどう挑んだのか。
Number802号(4月19日発売)掲載の“群像”ドキュメントです。
それは象徴的なシーンだった。
トップで選手がゴールした瞬間、激しい歓声が響いていた場内が、静まり返った。ゴールした選手は、電光掲示板を確認するとうつむき、プールから上がると床にうずくまった。
優勝したのにロンドンに行けない――。大会の最終日、女子200m背泳ぎ決勝のレース後の光景が、残酷さも含む選考会の側面を浮き彫りにしていた。
4月2日から8日まで7日間にわたって行なわれた競泳の日本選手権は、ロンドン五輪代表選考会を兼ねていた。選考基準は至ってシンプルだ。決勝で2位以内に入り、なおかつ日本水泳連盟が定めた派遣標準記録をクリアすること。「一発選考」に加え、派遣標準記録のレベルは国際大会で16位以内を目安に設定され、日本記録より高い種目もある。
高いハードルを設けることになった原点は、「史上最強」とうたわれながら、メダルなしに終わった1996年のアトランタ五輪にある。その後、体制を一新し、「世界で戦える選手を選ぶ」という方針を打ち出し、選考のあり方が見直された。アトランタに続くシドニー五輪の代表選考は過渡期であったからか曖昧さも残ったが、'04年のアテネ五輪時から選考基準が明文化された。オリンピックでのメダルは、アテネでは戦後最多の8、北京で5個と、着実に成果につながってきた。
「オリンピック本番より怖い」。元五輪代表も涙を流す緊張感。
選考のあり方には、プレッシャーに強い選手の選抜に加え、別の意図もこめられている。
アトランタ五輪後、ヘッドコーチに就任して再建を担い、現在は競泳委員長を務める上野広治氏は、以前、こう語っていた。
「オリンピックで戦うためのハードルなんだと周知することで、選手もコーチも、ただ出るんじゃなく、オリンピックで戦おうという気持ちも持てるようになるはずなんです」
厳しい選考基準となって3度目を迎えたのが、今回の日本選手権だった。
大会にいかに調子をあわせるか。予選、準決勝、決勝と続くレースでどう自分をコントロールするか。実績もなにも考慮されない以上、失敗は許されず、緊張は計り知れない。
「オリンピックよりも怖い」
そんな言葉を耳にしたこともある。大会では、駆けつけた元五輪代表選手たちが選手を励まし、涙を流す姿もあった。