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<日本フェンシング第2章へ> 太田雄貴&男子フルーレ団体 「もうひとつのメダルは仲間とともに」
text by
折山淑美Toshimi Oriyama
photograph byAsami Enomoto
posted2012/07/16 08:01
一時は個人戦世界ランキング21位まで沈んだ太田。
日本は昨年1月のW杯パリ大会で優勝したほか、'10年5月下旬以降の世界大会で2位2回、3位2回という結果を残していた。カターニャでの目標も前年の世界選手権と同様の3位以上と、金メダル獲得も可能な位置につけていると見られていたのだ。
初戦でハンガリーを難なく下した日本は、準々決勝でポーランドと対決した。
世界ランキング3位でシードされていた日本にとって、11位のポーランドは格下の相手。だが、1番手の千田が後手に回ると、続くエースの太田、三宅も波に乗れず、まさかの敗退を喫してしまったのだ。
青木雄介コーチは試合後に苦笑した。
「これまで1年以上ベスト4を外していなかったからいけると思ったけど、世界選手権となると難しいですね。みんな『ここでロンドン五輪を決めよう』と思って硬くなっていた」
目に付いたのが太田の不調だった。団体戦3日前の個人戦では「気持の入り方が弱かった」というようにベスト16で敗退。動きの悪さを何とか技術でカバーしていたが、相手がランキング上位になると通用しなかった。
「焦りもあって試合が単調になってしまった。体調のピークも合わせられなかったこともあるけど、心技体の3つのピークが合わないと勝てないことが良くわかった」
大会後、太田の個人戦の世界ランキングは21位まで落ちてしまった。
好調・千田も、個人戦での敗北を団体戦まで引きずって……。
個人戦で最も好調だったのは世界ランキング20位の千田だった。「個人でもメダルを狙っていた」という千田は、2回戦で'09年世界王者のアンドレア・バルディニ(イタリア)を相手に序盤から主導権を握ると、延長戦の末に金星をあげていた。3回戦では接戦の末に敗れ、「詰めの甘さが出てしまった」とコメントしていたものの、団体戦では太田の不調をカバーする活躍が期待されていた。
だが、千田は個人戦での敗北を団体戦まで引きずってしまった。
「チームに迷惑をかけたという後ろめたい気持になってしまい、それをうまく切り換えられなかった。周りにみんながいるという悪い意味での安心感もあり、個人としての覚悟が足りなかったのかもしれません」
ただ、追い込まれた日本チームは、そこから何とか踏ん張った。5~8位決定トーナメント1回戦で韓国を破ると、5~6位決定戦では、ロシアを相手に太田が1番手で先手を取り、千田と三宅のオーダーで常にリードを保つ展開で勝利を手に入れたのだ。
世界ランキングでも、今大会で2位になって得点を伸ばしたフランスを抑えて3位をキープ。4位以内への希望をつないだ。