スタジアムの内と外BACK NUMBER
【アジアの大砲】呂明賜が帰ってきた!
text by
長谷川晶一Shoichi Hasegawa
photograph byShoichi Hasegawa
posted2004/11/18 00:00
秋の宮崎は南郷。
伊東監督が熱心に見守る中、日本一に輝いた西武ライオンズの若手選手たちは連覇を目指し、各々が心地よい汗を流していた。その中に、見慣れない黒いユニフォームを着た男がいた。それはかつて、【アジアの大砲】と呼ばれた男だった。
死球欠場のクロマティに代わって一軍に登場した【アジアの大砲】呂明賜は、1988年6月14日、初打席初ホームランという衝撃的デビューを飾る。そして、一軍昇格後、17試合で10本のホームランを量産し、前年にブームを巻き起こした「ホーナー効果」を上回るほどの熱狂を誘った。それは、『ゴルゴ 13』の作者さいとう・たかをが、彼をマンガ化するほどの狂騒だった。
しかし、その後、執拗な内角攻めに苦心し、フォーム改造の失敗などもあって、結果を残せぬまま、91年シーズンを最後に呂は読売ジャイアンツを去った。日本での成績は、342打数89安打 打率.260 ホームランはわずか18本。しかし、その11本を、呂はデビュー直後の1ヶ月間で放った。
その呂明賜がライオンズ選手の中に混じり、同じく黒いユニフォームに身を包んでいる若い男を熱心に指導していた。男の名は、謝佳賢(シェー・ジャーシュン)。高校時代は許銘傑(西武ライオンズ)とともに話題の投手だった。肩を壊して打者に転向後は、台湾プロ野球・誠泰COBRASの、いや、台湾の誇る長距離砲となった。呂は台湾ナショナルチームの代表でもある謝につきっきりで打撃指導を行っていた。
元ライオンズの郭泰源が監督を務める誠泰COBRAS。
日本よりひと足早く地殻変動を起こし、昨年から1リーグ制に移行した台湾球界にあって、今シーズンのコブラのチーム成績は振るわなかった。だからこそ、その雪辱を果たすためにも、謝のさらなる活躍が期待されている。郭監督とライオンズとの強いパイプが、コーチと有力選手の技術留学を可能にした。
師匠を彷彿とさせる豪快なフォームではなかったが、謝は快音を響かせて、強い打球を放っている。ライオンズの東通訳は言う。
「台湾の選手はみんな熱心ですが、特に謝選手はものすごく熱心です。スイングも実にスムーズだし、実力は相当ありそうですね」
そのひたむきさは、ライオンズの若手選手にもいい刺激を与えることだろう。
練習終了後の呂明賜は流暢な日本語で語った。
「あの謝というのはすごいバッターですよ。ボールがものすごく飛んでいきますから。しばらくしたら、絶対に大打者になりますから、期待していてください」
さらに、久しぶりの日本の感想を尋ねる。
「日本にはいい思い出ばかりです。ジャイアンツにいたのは……、もう13年前? ずいぶん経つんですね……。日本球界に復帰? それはないです(笑)」
地元の子どもたちにサインをせがまれるライオンズの選手を尻目に、呂明賜は静かにホテルへのバスに乗り込んだ。この子どもたちが生まれる前に、呂はブームを巻き起こしていた。子どもたちは「この人、誰?」という顔をしている。
そして、続くようにして、将来の【アジアの大砲】謝佳賢もバスに乗り込む。間近で見るその胸板は、かなりの厚みを誇っていた。