総合格闘技への誘いBACK NUMBER
ヒール秋山が盛り上げた『やれんのか!』
text by
石塚隆Takashi Ishizuka
photograph bySusumu Nagao
posted2008/01/08 00:00
大会のキャッチコピーには、“集結セヨ。”という言葉と“ワン・ナイト・スタンド”というこのイベントを象徴するような文言が記されていた。
まさに忘却の果てから甦った一夜限りの夢物語──大晦日に行われた『やれんのか!大晦日!2007』は、『PRIDE』というかつて世界最高峰を誇った舞台のケジメとなる大会となった。
昨年のUFCによる買収劇で、神隠しの如くその存在を消してしまったPRIDE。10周年という節目が訪れようとしていた矢先、存在意義をも否定されるような散々な結末を迎え、PRIDEを支えた多くのファンの間には、きっと燻った想いがあったことは想像に難しくない。
そんな鬱憤を晴らすかのごとく、聖地・さいたまスーパーアリーナに集まったファンたちからは、他の試合会場では見られないPRIDE独特ともいえる熱が発散されていた。
高田延彦総括本部長によるオープニングの大太鼓乱れ打ちには「待ってました!」といった喝采が集まり、ルールディレクターの島田裕二レフリーに対するお約束の哄笑を含んだブーイング、そして、PRIDEを見捨てることなくファンの前に戻ってきた“我らが王者”エメリヤーエンコ・ヒョードルへの会場を揺らすほどの大声援……。ファンはみな、はち切れんばかりの笑顔を浮かべ、高揚感に酔いしれているように見えた。
そしてもっともPRIDEらしい雰囲気を作り上げるのに一役買っていたのが、意外にも秋山成勲の存在だった。
秋山といえば今後何年も語られるであろう言語道断のヌルヌル事件に加え主戦場が『HERO'S』、さらにPRIDEで活躍したデニス・カーンに完勝するといった具合に、ファンにとってみればこれほど“非PRIDE的”な選手もいない。
そんな外様に対するブーイングはかなり凄まじいものがあった。その文化的土壌からブーイングを上手くできない日本人が、良いか悪いかは別にして、耳をつんざき地鳴りするような強烈なブーイングを聖地に登場した秋山に執拗に浴びせかけている。
たとえ秋山に過失があったとしても、これほどに排他的な雰囲気は『Dynamite!!』では生まれなかっただろう。PRIDEという根を持つ『やれんのか!』だからこそ生まれたブーイングだと筆者は考えている。各地で接するPRIDEのファンには、いつもどこか支持者としての誇りのようなものを漂わせていた。かりに一部の人間にせよ「K−1でもHERO'Sでも、ましてやUFCでもない、これが俺たちのPRIDE」といった強烈な自負があったにちがいない。UFCに買収された際に六本木ヒルズで行われた記者会見にも多くのファンが足を運ぶなど、いい意味での選民意識があったように思う。歴史をひもとけば、例えば初期のPRIDEにおいて“対グレイシー”というファクターがファンの気持ちをガッチリとひとつにしていたことで、桜庭和志という格闘技スターを生む要因にもなっている。
もちろん、他の総合やキックの団体にもそういった排他的な雰囲気を醸し出す土壌はあるにはあるが、PRIDEほどの爆発的な集客規模をもってこの状況を作り上げられたのは格闘技史の1ページであり、後世まで語り継がれる価値はあるだろう。
ファンの情熱について、吉田秀彦はかつてこんなことを言っていた。
「PRIDEのファンの熱は独特なものがあります。格闘技のためにも、このせっかく育て上げた熱を絶対に消しちゃいけない」
'08年、日本の総合格闘技界はHERO'Sを主催するFEGを中心に旧PRIDE勢、DEEP、そしてワールド・ビクトリー・ロードが主催する『戦極』など、各団体が歩み寄り未曾有の大連立が見込まれている。危機的状況にある格闘技界にあって、これは良い傾向であるといってまちがいない。UFCを向こうに、日本のファンが好む夢のカードがいくつも誕生する可能性もある。
しかしながら、そうなっていくと懸念もにわかに湧いてくる。何だかんだ言って『やれんのか!』で一番盛り上がったのは、“非PRIDE”の象徴である秋山やチェ・ホンマンがリングに上がった時である。熱が生まれるには、因縁や対立構造が必要不可欠である。
しばらくは団体の垣根を越えての群雄割拠となる状況で、楽しめる時期も続くことだろう。しかし、対立構造が希薄になったときどうなっていくのか……。
まだまだ総合格闘技界にとっての正念場は終わらない。