カンポをめぐる狂想曲BACK NUMBER
From:マスカット(オマーン)「楽しい島流し」
text by
杉山茂樹Shigeki Sugiyama
photograph byShigeki Sugiyama
posted2004/10/19 00:00
オマーンで真剣勝負を楽しく観戦。大勢の日本人報道陣と
一緒に観るのは久しぶりだ。ドバイでみなと別れる際、
寂しい気分に襲われたけど、それも一瞬だけだった。
軽く100人は超えていた。はるばるオマーンまで駆けつけた日本の報道陣の数がである。いつも僕は思う。多すぎる、と。適正人数を超えている、と。僕もその中のひとりなので、偉そうなことは言えないけれど、でもやっぱり正常な姿ではない。日本代表偏重。日本ほどそれが顕著な国も珍しい。日本代表産業の巨大さを、改めて痛感させられる。
けっして好ましい傾向だとは思えないが、一方で、下世話な僕は、久々に多くの日本人取材陣とともに、真剣勝負を観戦できたことを嬉しく感じた。
なんといっても予選を経験するのは8年ぶり。このマスカットを訪れるのも前々回、フランスW杯の1次予選以来7年と数ヶ月ぶり。その時も日本の報道陣の数は多かった。みんなでアーだ、コーだ言いながら、試合を待つ快感を久々に思いだした気がする。スリルを、多くの人と分かち合えるという点で、このイベントの現場はとても楽しい。
97年のジョホールバル、93年のドーハ。とりわけセントラル方式で行われた後者には、その要素がぎっしり凝縮されていた。全ての報道陣は、決められた一つのホテルに2週間も一緒にいるので、嫌でも顔なじみになる。朝食でも、午後ティーでも、深夜のバータイムでも、サッカー話で盛り上がる。楽観的な人もいれば、僕のように悲観的な人もいる。若造のくせに自分の意見をバンバン口にする人もいれば、なかなか自分の意見を言おうとしない典型的な日本人もいる。自分と同じ意見の人としか話さない心狭い人もいる一方で、あえて人と違う意見を言いたがるへそ曲がりもいる。裏舞台は連日、喧喧顎顎に盛り上がっていた。意見するスポーツというサッカーの魅力を再認識した思い出がある。
当時といまとでは、報道陣の顔ぶれは3分の2以上は入れ替わってしまったが、懐かしい気分には変わりがない。そしてこれから1年間、日本の世の中も似たようなムードに支配されていく。そういう意味でも、日本代表の勝利には価値がある。面白い時代がやってきたと言えるのだ。日本サッカーが進歩するチャ ンス到来といっても過言ではない。
ただ、100人の意見が表に出にくいマスコミの体制には問題ありだ。みんな同じじゃ進歩がないし、となれば、日本のマスコミは単なるお騒がせ軍団になりさがる。
日本代表従軍記者系を除く、ほとんどの記者、フォトグラファーは、試合後の深夜、マスカットを発つドバイ経由のエミレイツ便で、帰国の途に着いた。僕も彼らとは、ドバイまでは同じ便で移動した。それだけに、ちょっとセンチな気分になってしまった。僕の乗り換え便の行き先は、ロンドン・ガトウィック。
そこでまたマドリー便へと乗り換える。僕の行動を決定するサイコロの目だけは、どうも他の人とは違うようである。「僕も普通の日本人になりたいよー」と、周囲にこぼせば「普通じゃない所がアナタの良い所」と、背中を叩かれる始末。瞬間、ひとり島流しにあったような寂しさにとりつかれたが、ガトウィック行きにひとり乗り込むと、気分は自分でも信じられないくらいの猛スピードで切り替わっていた。島流し気分もまた楽しからずや。日本代表だけがサッカーじゃない。世界は広いぜと、強気の虫が体中を駆けめぐった。と、同時に爆睡。
気がつけばロンドン・ガトウィックに到着していた。そしてまた気がつけばマドリーに。世界は広いのか狭いのか。でも、僕の大事な「GRAVIS」の旅行バッグは、そのバゲージクレイムに現れなかった。トラブル発生。しかし、僕はいつになく冷静だった。世の中が僕のスピードについて来られないのは当然かと、逆に奇妙な満足感に浸っていた。つまり、機内でたっぷり爆睡した所で、僕の強気は冷めなかったというわけ。マドリーは良いぜ。次に向かうミラノだって悪くない。でも、やっぱり東京も良かったりして……。